『スプートニクの恋人』を読んで

記憶している限りでは初めての村上春樹作品『スプートニクの恋人

壮大なファンタジーであるとともに、読んだ後にズッシリと重たいものを持たされた気持ちになります。

 

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[スプートニク]

1957年10月4日、ソヴィエト連邦はカザフ共和国にあるバイコヌール宇宙基地から世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げた。直径58センチ、重さ83.6kg、地球を96分12秒で一周した。

翌日3日にはライカ犬を乗せたスプートニク2号の打ち上げにも成功。宇宙空間に出た最初の動物となるが、衛星は回収されず、宇宙における生物研究の犠牲となった。

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”あっち側“は無意識の世界であり、夢の中であり、無重力であり、宇宙でもある。

“こっち側”は自分が認識している意識の世界。


“あっち側”と“こっち側”は切り離して考えることはできないし、

“こっち側”が幸せなわけでもない。むしろ“こっち側”なのにひとりぼっちな気持ちにさえなる。

 


本の中で印象に残った箇所は以下です。

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我々の不完全な人生には、むだなことだっていくぶんは必要なのだ。もし不完全な人生からすべてのむだが消えてしまったら、それは不完全でさえなくなってしまう。

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むだを削ぎ落としたところで対症療法にはなるかもしれませんが、

多分また別のむだが発生するんだろうと思います。

だから完全になくそうとするのではなくむだを許容できる心を育みたい。

『企業文化をデザインする』を読んで、文化は一人一人がつくっていることを学ぶ

『企業文化をデザインする』を読みました!

カルチャーは作り出そうというものではなく、すでにそこにあるものであり、
それを良しとするのか、はたまた変えていくのかを、
自分達がありたい方向と照らし合わせて考えて決めて行動していくことが、
 企業文化をデザインするということなのではないかと思いました。
企業のカルチャーは創業過程/成長過程の中でさまざまな成功/失敗体験を通じて構築され、深められ、時を経て移ろい変化する。カルチャーは注意深くデザインし続けなければ自然の摂理のように組織の拡大とともに薄まり、時代や環境の変化に影響を受ける。企業を永続的に成功に導きたいのであれば、企業活動のらゆる土台となる企業文化を作らなければならない。
結局、私が本書を通じて言いたいことは、この一節に尽きると思っています。
「企業のカルチャーとは何か?」という深い問いに対する、現時点での答えです。

 

昔からいるとかいないとか、意識しているとかしていないとか関係なく、
その会社に所属している時点でその会社のカルチャー作りに加担しており(少し表現を優しくすると、影響をしており)、
会社のカルチャーが合わないから退職するという理由はあるあるかもしれませんが、
この本を踏まえると、
「あなた自身があなた自身でもってして合わないカルチャーを作り上げているのではないか?」
と思うわけです。
 
カルチャーは「誰か」がつくるのではなく「あなた」がつくるのであって、
こうありたいという意志によって変えていくことができるものである、と私は思います。
 
また、この本でも紹介されている
「優れたリーダーはどうやって行動を促すか/サイモン・シネック (日本語字幕)」
を久しぶりに視聴しましたが、
同じものでも伝え方によってまるで違う。

『新装版 真説「陽明学」入門』を読んで、ポスト資本主義社会に必要な考えを学ぶ

『新装版 真説「陽明学」入門』を読みました!

安岡さんの陽明学の本が難しくて積読していたところ、
こちらでグロービスの必読書として記されていたのででこの本を読みました。
 
 この本は1)王陽明の人生と共に陽明学の成り立ち、2)陽明学のポイント、3)陽明学の影響を受けた人々、について記されています。
 
自分の心に目を向け、その心を育むことで心が豊かになる、
そして物事を二分するのではなく一つとして考える
という考え方は今必要とされている視点なのではないかと思います。
もう少し読んでみます。
 
-----以下メモ-----
儒教孔子(前551-前479)の人間学社会学形而上学に関する教えを中心とした、中国の伝統的な思想。
朱子学儒教を深めた後継者の一人が、南宋の時代(1127-1279)に登場した朱子(1130-1200)。五経に代えて、『論語』『大学』『中庸』『孟子』の四書を重視。江戸時代に幕府が奨励。
陽明学明王朝時代(1368-1644)に活躍したのが王陽明
「万物一体の考え方を理解し、心の中の葛藤をなくし、不動心を確立する教え」であり、「万人に開かれた、より良く生きるための実践的な心構えを説いた人間学
 
陽明学のポイント
致良知:誰もが持つ善悪を知る能力であり、「仁・義・礼・智」の四つの徳のことである「良知」を発揮すること。
心即理:ものごとの正しいすじ道である理は心の中にあり、理と心は同じ。心と万事万物は一体である。
知行合一:<先知後行>(知識が先で行動が後)を主張する朱子学に対し、知と行を分けずに考えることを主張し、さらに知と行を一緒にしようとする言行一致とも異なる。心の動きも行為である切り離せない。
→ 万物一体の仁へつながる

『志を育てる』を読んで、悩むと考えるの違いについて知ることができた

『志を育てる』を読みました!

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志とは、
「一定の期間、人生をかけてコミットできるようなこと(目標)」
と定義されており、
まさに、今ブラッシュアップをしているOKRのObjectiveと同義だなと思いました。
 
OKRのOも志も「いきなり設定しましょう」と言われて思い悩む時間ってあると思いますが、
この本には「悩むこと」と「考えること」の違いについて以下のように記されていました。

・悩んでいる:抽象度の高いフレーズだけが頭の中を渦巻いており、ある種の思考停止状況になっている場合が多い。

 

・考えている:本来、何について考えなければならないのかという論点を整理し、できるだけ抜け漏れなく、次に対するオプションを洗い出し、(つまり考えを詳細化、具体化し)、自らの価値観に基づく評価基準を決め、絞り込むために、思考を深めているという状態を指す。

こう見ると、一見悩むことはダメなことのように感じますが、悩んでいることを自覚していたらOKで、
ダメなのは悩んでいるだけなのに、考えていると思いこむことです。
 
人生やキャリアについても同じです。
「どうしよう」って思うことは論点が明確になっていないので考えている風(ふう)なだけで、本当に解決策を見出すのであれば、なぜどうしようって思ったのか、何にもやもやしているのかを明らかにし、どうやったら解決できるのかを考えないといけません。
 
私はできる限り「考える人」を増やすためにあれやこれや細かく言うことを避けています。
言わないとわからないじゃないか、という意見があることもわかりますが、
一方で、言うことで考えることを止めて、言われたこと以上のことを考えなくなることを恐れています。
 
なぜなら、考えている風で社会はよくならないからです。
いろんなところで社会の課題に対するアクションがされていますが、社会の課題は何か一つ解決したところで解決はできません。(だから”社会”課題だと言われていると思います)
考えて、アクションして、考えて、アクションして、をこれでもかというくらい繰り返してやっと社会は少しだけ良くなるくらいのものだと思います。

志は事前に何かにコミットするという意思決定であり、重要なことは、誰かが決めた目標や規範に乗っているかどうかよも、それに「自分自身が乗ることを決めた」という部分

と本に記載されているように、自分が何にこだわりたいのか自分ルールをクリアにして、
それをもとに自分で決めて、一つ一つやっていくというのが本質的に重要なことなんだと思います。

『答えのない世界を生きる』を読んで、文化系学問を追求しているみんなへのエールを感じた

『答えのない世界を生きる』を読みました!

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これは出口さんがYoutubeの公演でおすすめされていた本なのですが、何が正しいかは結果論だ、というのがすごく印象的でした。
行為が正しいかどうかは社会的・歴史的に決まる。美しいから美人と呼ばれるのではない。逆に、社会の美意識に合致する人が美貌の持ち主だとみなされる。善悪の基準も同様だ。悪い行為だから非難されるのではない。我々が非難する行為が悪と呼ばれるのである。
逸脱する少数派が肯定的に受け容れられるか、あるいは否定的に拒否されるかは、行為の性質や主張の内容からは決まらない。何が正しいかは結果論だ。
自分が正しいって思っていることは「今」だから正しいのかもしれないし、「ここにいる」からこそ正しいという結論になるのかもしれない。
それが「今」じゃなくなったり、「ここ」じゃなくなったら、その正しいと思っていることは変わる可能性がある。
それくらい私たちは答えのない世界にいるんだと思います。
だからこそ、私たちは学び続けるんだと思います。
 
その学びのアプローチとしてして、筆者は日本で生まれ育ち、現在はフランスの大学で社会心理学の研究をされていることから、文化系学問の重要性を説かれていました。
社会科学系の研究者は何のためにいるのか、
フランス生まれではない日本人がフランスの大学で教えること、
について筆者の苦悩も描かれているので現役大学院生は共感できる所が多いのではと思います。
文化系の学問は己を知るための手段である。自分を取り巻く社会の仕組みを読む解く、自分がどのように生きているのかを探る行為だ。
 
「どうしたら独創的な研究ができるのか」
この問いは出発点から誤っている。斬新なテーマやアプローチを見つけようとする時、すでに他人との比較で考えている。そこが、そもそも独創的でない。
 
人文学を勉強しても世界の問題は解決しない。それで社会が少しでも良くなるわけではない。自分が納得するために考える。それ以外のことは誰にもできない。
 
文科系学問が扱う問には原理的に解が存在しない。そこに人文学の果たす役割がある。
 
「正しい答えが存在しないから、正しい世界の姿が絶対にわからないからこそ、人間社会のあり方を問い続けなければならない」
社会をより良くするために文化系学問を学ぶというのはおこがましいし(社会がより良くできたらラッキーくらいに思っておく)、
「この偉人はこういってたから」や「なんとか論ではこう記されているから」などという知識の引用だけではなく、
自ら問いを立て、自らの言葉で語ることをやっていきたい。

『心理学的経営―個をあるがままに生かす』を読んで、組織において無秩序から秩序化そして無秩序化の動きの重要性を知る

『心理学的経営―個をあるがままに生かす』を読みました!

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これはリクルートの創業メンバーとしてSPIの元になるものをつくった大沢武志さんの本で、
PM理論や目標設定理論、ホーソン実験、知覚(感覚/直感)と判断(思考/感情)など、フレームワークも多く記されていました。
その中でも以下2点、印象に残りました。
 
●心理学的経営というものについて

「結局心理学的経営の目指すところは、人間をあるがままにとらえるところから出発して、人間を大事にする経営ということになろう。では人間を大事にするというのはどういうことかと考えると、つまりは、一人ひとりの人間を尊重するということ、すなわち「個性」を尊重するという考えにたどりつく。」

という箇所がすごく印象的でした。
人間というものは、雨の日はなんとなく気分が落ち込んだり、賢い人と話すとテンションが上がったりと、1日の中でもコロコロ気分は変わり、別人とまではいかなくともいろんな人格をもっているものであり、全然合理的に判断しないこともある。
だからこそ、人間を大事にする、すなわち尊重する、ということが心理学的経営だというのはすごく共感しました。
 
●活性化について
「人間という生命体は無秩序な状態から秩序化された状態を自己組織化する過程で、無秩序を放出し、エントロピーを増大させるという矛盾した存在なのである。」
 
「活性化された組織はいわば雑然とした無秩序な世界である。」
 
「活性化は、既成の構造としての秩序を破壊することからはじまる」
 

「現状の自己否定が組織に葛藤と緊張をひき起こし、組織内の均衡状態を崩していく。これがカオスの演出という活性化のための最初の戦略として認識されなければならない。」

 

「ゆらぎが増幅され、一定のクリティカルポイントを超えたときに、破壊や革命が起こる。組織活性化の最終ゴールは破壊のための破壊ではなく、新しい創造のための破壊である。」

とあるように、
無秩序な状態から秩序化していく動きがある種の”組織化”である一方で、
秩序化された組織というものにイノベーションは起きないからこそ、
それをまた壊して無秩序な状態にすることが”活性化”であるということがわかりました。
 
確かに一個人でみても入社した当時は慣れないことばかりで一定の緊張があるものの、やっていくうちに仕事にも環境にも順応し、慣れてくると新しいことをしたいと思うように、
無秩序→秩序→破壊→無秩序→秩序…
を知らず知らずのうちに繰り返しているものだと思います。
だからこそ、
何の意味もなく破壊することや破壊のための破壊というものはそれそのものは否定はしないものの、組織の再構築という意味において無意味
だと思います。
それをやった結果どうなるのか、何のためにそれをするのか、
想像力をもって一つ一つやっていきたいと思います。

『限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭』を読んで新しい経済の仕組みが必要な理由を知る

限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭』を読みました!

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この本では封建制度から遡ってなぜ資本主義というシステムが生まれたのかを
コミュニケーション/エネルギー/輸送
のキーワードとともに振り返ることができました。
中でも19世紀前半、
 
蒸気印刷と電信/蒸気の動力/蒸気機関車
によって、経済的資源を集め、輸送し、加工し、製品に変え、顧客に到達させるときの速度と信頼性が劇的に高まった。
ステイクホルダーが増え、それらを統制する官僚制度とお金を集める仕組みとして株式会社並びに株式公開企業ができ、その結果ニューヨーク証券取引所の重要性が増した。
 
という一連の流れから、
資本主義というのは、主義が先行して生まれたのではなく、
コミュニケーション/エネルギー/輸送の3つが揃うことでそうせざるを得ないようになったんだと思いました。
 
新しいテクノロジーによって生産性を高めるほど限界費用はほぼゼロになり、財やサービスは無料になるため、
利益という概念がなくなると同時に、稀少性よりも潤沢さが増すからこそ、
生産と消費を分けることなく、生産消費者は自らの財とサービスを協働型コモンズにおいてシェアするような社会になるのではないか、と記されていました。
 
上記の理由からGDPの伸びが鈍化する理由として、
高いエネルギーコスト、人口動態、労働人口の伸び悩み、消費者と政府の負債、世界の収入のうち富裕層に回る額の増加、出費を嫌う消費者による買い控え
のみならず、
限界費用がゼロになることで、利益が縮小することも要因として挙げられていました。
そして、新しく経済発展の度合いを測る基準として「生活の質」がすでに欧州連合や国連などで導入されており、
今後重要性が高まるだろうと記されていました。
 
2015年出版の本であるもののここに記載されている方向へと着実に不可逆的に進んでいることから、
私たちは想像力を持って、未来をつくりたいと思います。
 
———MEMO———
パラダイム」とは信念と仮定から成るシステムのことで、そうした信念と仮定は一体となって作用し、統合された一つの世界観を確立し、その信憑性と説得力から、ほぼ現実のものと見なされる。
●エネルギー
熱力学の第一の法則と第二の法則は、「宇宙のエネルギーの総量は不変で、エントロピー(モノと熱の拡散の度合いを示す物理量)の総量はたえず増加している」としている。
第一法則(エネルギー保存則)は、エネルギーは生み出すことも消し去ることもできない
第二法則によれば、エネルギーはつねに、「熱」から「冷」へ、集中から分散へ、秩序から無秩序へと移動する。
あらゆる経済活動は、自然界に固体、液体、あるいは気体で存在する有効エネルギーを利用し、財やサービスに変えることで生じる。
→循環型経済の中で地球の資源をより少なく、より効率的・生産的に使い、炭素系燃料から再生可能エネルギーへ移行するというのが、今出現しつつある経済パラダイムの決定的特徴だ。
●生産性
生産性とは、「生産に必要なものに対する生産物の比率(生産物の総量をその生産に必要なモノの総量で割ったもの)として計算される生産効率の指標」だ。
生産力の上がる新技術を導入し、自社の生産コストを下げ、財やサービスの価格を下げて、いくと生産性は頂点に達