『友だち幻想』からみる、”エモさ”を伝えるためには、”エモい”を使わないということ

少し間が空いてしまいましたが、先日あるメーカーにいた方から

マーケティングに関して興味深いお話を伺いました。

 

広告主が広告代理店にわざわざfeeを払う理由は、広告主と広告代理店には役回りの違い(下記)があるからで、最終ゴールはGreat ideaをつくることであり、そのために各々が役回りを全うする

 

一見当たり前のように見えますが、実はこの観点が抜け落ちている人がたくさんいると思うんです。

しかもこれって、広告代理店と広告出稿する人たちだけではなく、代理業とやりとりをする業種全てに言えることであり、

私達のような人財エージェントにおいてもやるべきことは
”クライアント側が採用したい人物像に関するBRIF(求人票)をつくり、私達はそれに基づいて候補者の方へメッセージングしてお伝えし、それを体現できるような人を紹介する”

ということなんだと思います。

そのためには単なるデモグラやハードスキルだけではなく、

なんのためにその人を採用しないといけないのか、人事は関係部署と連携をとって言語化しないといけないし、

私達のマッチングもハードスキルのマッチングで事足らしたらだめなんだと思いました。

 

この、言語化について、ちょうど今週読んだ『友だち幻想』で、

他者と自分は異なるという前提の下、人とのつながりを丁寧に築くなら「ヤバイ」などのコミュニケーション阻害用語を用いることは良くないみたいなことが書かれていました。
最近だと「エモい」と言う言葉も、そのエモさの本質はその時々/人によって異なり、同じ「エモい」でも受け手と使い手のニュアンスは微妙に異なると思うので、

本当の意味でエモさを伝えたいなら、「エモい」という言葉を使わずにエモさを伝えられないと、伝わらないんだろうなあと思います。