『ビジョナリーカンパニーZERO』を読んで、偉大な企業のリーダーシップについて理解を深める

『ビジョナリーカンパニーZERO』を読みました!

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偉大な企業とは「業績」「影響」「評価」「持続性」がある組織であり、

偉大な企業をつくるために「リーダーシップ」「ビジョン」「戦略」「イノベーション」「卓越した戦術の遂行」が不可欠な要素となり、

それぞれについて事例とともに述べられており、今までのビジョナリーカンパニーの総ざらいのような本でした。

 

その中でも印象的だったのはリーダーシップの箇所です。

ーーーーー

・真のリーダーシップとは、従わない自由があるにもかかわらず、人々が付いてくることだ。

・何らかの権力に頼って仕事を進めるのは、リーダーシップを放棄することに他ならない。

・「リーダーシップとは、部下にやらなければならないことをやりたいと思わせる技術である」

・やらなければならないことを見きわめるのはリーダーの役目だ。

・あなたは理想とする文化のロールモデルにならなければいけない。

・文化を形づくり、人を育てることによって、あなたが亡くなった後も何十年と偉大な企業として存続できるようにすることが究極の目的だ。あなたと同じくらい重要なディティールにこだわる人材を見つけ、戦術レベルで一貫して高い成果を達成するシステムを構築し、率いていく「方法」を教え、彼らがあなたの在任中をはるかにしのぐ成果を上げるようになれば、本当の意味で永続する偉大な企業の基礎を据えたといえる。

ーーーーー

先日読んだ帝王学の本でも記載されていたように、リーダーシップとは会社のミッションやビジョンに基づいてやらなければならないこともやりたいとメンバーに思わせることであり、

自分に肩書きや権力があるから従ってくれているのか、本来的に自分がやるべき/やりたいと思ってくれているから従ってくれているのか、

自己を客観化して認識をしないといけないなと思いました。

 

また、ビジョナリーカンパニーでも再三言われているように、すごいカリスマだけでは永続する偉大な企業をつくることはできず、

それを継承し、さらに自分を越えられる人を育てること、人が何よりも重要であり起点になることがわかりました。

 

最後に、執筆が楽しくないって思うならこの本を書くのはやめるべきだと説明される時に用いられた以下一文は、先日誕生日を迎えたこともあって印象に残りました。

楽しくないことを続けるには、人生は短すぎる。

老後とか考えると結構人生長いなとか思っちゃうのですが、

体力も気力もあってそれなりにやりたいことを自由にやれる時間というのはあまりないし、

「楽しくないことを続けるには、人生は短すぎる。」ことを認識した上で、今この決断をしているのであれば、自分との約束を精一杯守ろうと思いました。

『ヒューマン・キャピタル・マネジメント―アーサーアンダーセンの提唱する組織・人材戦略』を読んで、ヒューマンキャピタルの語源を知る

『ヒューマン・キャピタル・マネジメント―アーサーアンダーセンの提唱する組織・人材戦略』を読みました!

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ヒューマンキャピタリストと名乗っているわりに、
ヒューマンキャピタルとは何かよくわかっていないところもあったため、
Amazonで目についた本を読んでみました。
(ヒューマンキャピタルという名前の本めっちゃ少ない)
ヒューマンキャピタルマネジメントというと、やや人事よりの話になってしまいこの本も例に漏れずではあるものの、
人材に価値を認めることが重要であるということは自明であるものの、
実際の行動に示すことができていないため、フレームワークを用いてどのようにヒューマンキャピタルを評価するのかが記されていました。
1999年出版当時から指摘されているが今もなおできていないこともあり、
頭では大事だと分かっていても実際のアクションに起こすことの難しさを感じます。
 
・キャピタルの起源
キャピタルという単語は個人レベルの富から十七世紀に入って株式会社の発展とともに個人から組織に用いられ、さらに国家レベルへと移っていく。
十九世紀初頭に入ると、資本、あるいは資本の価値を示す株式の意味を超えて使われる。
→単に資金を意味するだけでなく、資金という意味を越えた何らかの価値、すなわち資金を生み出す仕事に関連した価値の単位を表す
 
・ヒューマンリソースとヒューマンキャピタルの違い
┗(資源)消費可能な枯渇の進むリソース
┗(資産)高い価値が認められ、開発されるべきアセット
企業がいかに、いかほど投資を行うかによって、その価値を高めもし、低めもする資産と解釈すべき。
企業の実際の経営とそのバリューに重大な影響を及ぼすことから、この課題は企業のすべての管理者、役員に関わる問題。
ヒューマン・キャピタルという考え方は統制経済下ではその意義が認められない。自由経済下のみで、富の創造と成長の原動力となり得るのだ。

『サステナブル資本主義 5%の「考える消費」が社会を変える』を読んで、消費者でもあり労働者でもある自分自身が資本主義を作っていることに気づく

サステナブル資本主義 5%の「考える消費」が社会を変える』を読みました!

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学ぶポイントはたくさんあったのですが(資本主義の仕組みを知らなさすぎるので)、特に以下2点、印象に残りました。
①資本主義もスタートアップも複雑な物事をシンプルに捉え、シンプルな指標に基づいて邁進することには変わりがないものの、
社会を良くするということ、社会の課題を解決することを前提とすることでサステナブル資本主義となる
② 「一人ひとりができる限り裕福になることと、お金の価値に縛られない価値観を大切にすることが不可欠です。」
「「投資家のマインドを持つ」とは、モノの価値を自ら規定できるようになる。」
「考える消費」をするために「失敗から学ぶだけでなく成功を知る」
というのはその通りだなと思いますし、
もはや、消費者でありつつ生産者であるという意識を持つことが、
持続可能な社会の構成員として必要不可欠なんだと思います。
 
ちょうど、
という記事を読んで、
一人当たりの賃金をあげることは企業にとって

損益分岐点を引き上げ、リターンを創出できる可能性を引き下げる

ということを本著でも記されていることを思い出しました。
個人レベルでみても一斉に賃金を上げるというよりは自分の仕事の価値を自分で決められるようにならないといけないし、
高付加価値な仕事をすることへの緊張感を生むのではないか、と感じました。
---MEMO---
●資本主義
・正しい価値とは経済的利益を生むこと
・資本主義においては資本収益率の高さを享受するのが正解なので、できる限り早くその資産を現金に換えるインセンティブが強く働きます。
・シンプルで再現性と拡張性のあるアイデアやビジネスを好む傾向があります
・投資家の資金提供に軸足があるのが資本主義
 
サステナブル資本主義
・より広義に社会構造を捉え、人とお金とステークホルダー全体の利害を正しく考慮した上で、シンプルにモデル化し、社会の共感を勝ち取っていくことがより求められるようになるのです。
・消費者による消費行動により生まれるお金の影響に注目したのがサステナブル資本主義
 
 
 
 
 
鈴木聡子、東 晃希、他32人
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『安岡正篤・中村天風の帝王学―「人の上に立つ者」はかくあれ!』を読んで、帝王学についての全体像を知る

安岡正篤中村天風帝王学―「人の上に立つ者」はかくあれ!』を読みました!

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安岡正篤さんと中村天風さんの話をその弟子の著書2名がまとめている本なので、
やや又聞き感があるものの帝王学についての全体感を知ることができました。
中でも、安岡正篤さんからはリーダーについて、中村天風さんからは自然の法則に従うことについて説かれているように感じました。
安岡さんは『四書五経』を学ばれているだけあって、
リーダーにはリーダーとしての役割があり、人の上に立つ者として相応しい行動を取ることを示されており、
リーダーは人に合わせて話はするものの、それは決してメンバーのやりたいことを尊重するということではなく、
むしろ、自分が決めた方向性についてきてもらうために人に合わせて話をする必要があるんだと思います。
だからこそ、
時と処を得ない人間がどんなに高いポジションに就いても不幸になる
とあるように、身の程を知ることの重要性も記されていました。
また、天風さんは誰かと何かを比べるのではなく、そのまま、あるがままを受け止めて自分すらも自然の一部だと思うことの重要性を積極(せきぎょく)という言葉で記されていました。
紹介されていた
呻吟語
『東洋宰相学』
『為政三部書』
は、時間をつくって読みます。
 
-----MEMO-----
安岡正篤さんについて下村 澄さん
・シュワルツコフのリーダー論
┗「リーダーとマネージャーとは異なる。マネジャーはシステムを管理し店や道具を買いそろえるのが仕事。そういう人たちは、財務管理やシステム管理には適しているが、組織の基本要素である『人』の存在を忘れている。リーダーは『人』をリードすることだ。人にはそれぞれ夢や希望があり、頭脳や感情を持っている。その人にやる気を起こさせ、その人が普段やらないことも喜んでやらせてしまう。これがリーダーだ。マネジャーは生身の人間を忘れがちである」
┗リーダーの資質は優れた倫理観、技能、説得力、判断力。シュワルツコフはそれに加えて「尊敬」を挙げています。
では尊敬とはどうやったら生まれるのか。
それはリーダーにふさわしい責任をとる。
つまり、リーダーシップとはつきつめれば責任をとること。
・安岡先生のリーダーに必要なものの見方、考え方の三原則
一.リーダーは目先でものを考えずに、常に五年先、十年先を考える。そうすれば、発想が違ってくる。
二.一元的ではなく、多元的に見る。
三.枝葉ではなく、根本で見る。
・「相」という字は遠くを見る人という意味
┗目先しか見えない人、目先しか見ようとしない人はリーダーになってはいけません。だから、いちばん遠くを見る人のことを「宰相」というんです。
 
中村天風さんについて清水 榮一さん
・天風先生の心身統一法の原理は積極の心と自然法則に従って生きること。
・「せっきょく」ではなく、「せきぎょく」と読ませるのはなぜか。
┗せっきょく:消極に対する反対概念、相対概念になり、自分自身が対象にとらわれてお留守になる。
┗「絶対積極は精神を傾注することではなく精神の統一だから、逆に自分の心を引き寄せるんだ。風が吹けばわたしが風になり、雨が降ればわたしが雨になるという心境。これが積極である」
┗「心身を統一するには命を慈しむことです。そのためには宇宙大自然のエネルギーをわが生命に受け入れること。つまり大自然の法則に順応していくことが大切なんですね。」

『インスタグラム:野望の果ての真実』を読んで、わからないからこそ理解する努力をする、そして最終責任をとることの重要性を感じる

『インスタグラム:野望の果ての真実』を読みました!

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インスタグラムの本なのでややインスタグラムに寄った話ですが、
これだけ価値観が違う(むしろ真逆)チームが同じ企業体としてやれてきたのは、
インスタグラムがこだわりを主張し、それをフェイスブックが許容してきたからだと思います。
正直フェイスブックとインスタグラムは用途が全然違うので無理やりつなげる必要性ってないんじゃないかと素人目に見ても思いますが、
マーク・ザッカーバーグだったらインスタグラムとフェイスブックを同列に考えることより、
フェイスブックを軸にしてそのシナジーをグループ各社がどう生み出していくかを考えるかもしれないなと思いました。
———————————
●創業時のサービス
今いる場所やこれから行こうとする場所を書けば友だちが合流でき、出かける回数が多いほどご褒美がもらえる「バーブン」
このバーブンの人気の側面プランズ、写真、バーチャルご褒美の中でだれにとっても便利な機能として写真に絞ってリリースされたのが「インスタグラム」
●インスタグラムの変遷
2010年10月:インスタグラムはリリース
2012年:Facebookに10億ドルで買収(Facebookはその年に評価額1000億ドルで上場)(当時インスタグラムは社員13人、創業者2人とメンバー3名のみしかキャピタルゲインを得られなかった)
2018年:ユーザー10億突破
2018年9月:創業者シストラムとクーリガー退任
フェイスブックとインスタグラムの違い
・新たなことに興味を持ってもらおうとするのがインスタグラムで、人々が欲しいと思っているものをデータで解き明かし、それをどんどん提供するのがフェイスブック
フェイスブックはあらゆることをデータから導くが、インスタグラムは、社員の個人的な好みでキュレーションしている
フェイスブックは、なるべく多くのユーザーにとって問題が解決される技術的な仕組みを作ろうとするが、インスタグラムは、もっと創造的で、人間関係のなかで問題を解決しようとする
———————————
これらを踏まえて、
起業したことない人に起業家の気持ちはどこまでいってもわからないですし、
起業したことないくせにって思われるし、自分で思うこともあります。
でも、
わからないから仕方ないと思考を止めるのではなく、
わからないからこそ理解する努力をする。
さらに、
理解する努力をすることは大事だけど相手からすると努力しようがしまいが知らんって感じなので、
すべてひっくるめて自分がみる、と言えるかどうかが実は大事なのかもしれないと思います。

『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』を読んで、ビジョンを本当に実現したいなら「こうなりたい」ではなく「こうならざるを得ない」ということ

『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』を読みました!
ビジョナリーカンパニー1では後世に残る会社(ビジョナリー・カンパニー)の特徴が記されているのに対し、
ビジョナリーカンパニー2ではビジョナリーカンパニーになる前の、グッドからグレイトな会社になるための特徴が記されていました。
 
ビジョナリーカンパニーは金言が多く、『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』も例に漏れず、なるほど!、と思うことがたくさん記されているのですが、
・第五水準の指導者がいて、
・適切な人をバスに乗せ、
・厳しい現実を直視する規律をもち、
・真実に耳を傾ける社風を作りだし、
・評議会を作って針鼠の法則の三つの円が重なる部分で活動し、
・すべての決定を単純明快な針鼠の概念に従って下し、
・虚勢ではなく現実の理解に基づいて行動すればいい
という一連の流れを感じました。
 
その中でも、
ほんとうに問題なのは、「なぜ偉大さを追及するのか」ではない。「どの仕事なら、偉大さを追求せずにはいられなくなるのか」だ。
という箇所がポイントだと思いました。
自分たち自身も成し遂げたいことの大きさから、偉大な企業に”なりたい”ではなく、偉大な企業に”ならなければいけない”し、
ミッションを実現させるために偉大な企業に”ならざるを得ない”と思いました。
そして、飛躍への第一歩である「第五水準のリーダーシップ」も”持ちたい/持とう”というよりは、
偉大な企業を作るためには”持たざるを得ない”んだと思います。
大事なことは偉大なことをせざるを得ないって思えるくらい「自分がやりたいことなのかどうか」だと思います。
そして、全然できてなくても、根拠はなくても、「覚悟を持ってそれを続けられるか」が重要なんだと思います。
今私が働く会社においては、自分が信じた起業家を信じられるか、ここに尽きると思います。

『NEXTOKYO 「ポスト2020」の東京が世界で最も輝く都市に変わるために』を読んで、改めてポスト2020の世界について考えた

『NEXTOKYO 「ポスト2020」の東京が世界で最も輝く都市に変わるために』を読みました!
 
2017年に東京の街を今後どのようにデザインするのが良いかを記されている本で、
想像力を掻き立てられた一方で、
なかなか思うようにはいかないもどかしさを感じました。
そんな中、文中のニューヨーク在住のジャーナリスト佐久間裕美子さんの言葉は印象的でした。

本物の魅力は本物にしか宿らない。自分の持ち場で何ができるかを考えることが大事です。

東京オリンピックは批判というよりはなんでこうなったんだろうという疑問しかなくて、
“ただ、昭和生まれのオジサンが牛耳っていた”というデモグラ的な話ではなくて
ネガティブな空気の連鎖によって止められなかったように感じました。
ちょうど、今年の長崎原発に合わせて日本は核兵器禁止条約への署名見送り&オブザーバーとしての参加も回答していないニュースを見て、
政権としては被爆国だからといって核兵器禁止条約への署名をしてスタンスを切ることは後ろ盾をなくすことにもつながるし、
その政権を選んだのは私たち一人一人なんだなあと身に染みました。
一人一人のレベルだとどっちでもいい大したことないことでも、その大したことないことが集まると真意とは反対のことが生じるからこそ、
「どうせ私一人が、、、」
ではなく
「自分の持ち場で私一人でも一生懸命考える」
ということをしたいと思います。