『相対化する知性 人工知能が世界の見方をどう変えるのか』を読んで、家系への回帰について考えた。

『相対化する知性 人工知能が世界の見方をどう変えるのか』を読みました。

相対化する知性 人工知能が世界の見方をどう変えるのか
政治哲学なのかな?の理論がふんだんに盛り込まれていて、社会学の観点からディープラーニングの有用性について述べられていました。

 

●人はその物自体を認識しているのではなく、自分の中にある分類にあてはまったものを認識している(あてはまらないものは認識できない)。
┗マクロレベルで立ち現れる共通のパターンを発見することが「知る」ことであり、ディープラーニングだと特徴量の発見。

 

→ということは人間が見えていないものも存在し、人間は人間の理解を超えた外の情報を人工知能から入力し、外の世界へ出力することで人間は自分自身についての理解を深める。
┗これは人間の理性には限界があるということを示し、それによって個人の活動を社会の中で意義あるものとして位置づけられなくなり、「論理の一貫性」を最後に拠り所として誤った判断をしてしまう可能性もある。(過去ナチスの例など)

 

 

●人生の目的は人それぞれに異なっていて、その目的を利己的に追及する個人の活動にはなんらかのかたちでのイノベーションが伴い、そのイノベーションが社会正義を増進している。
┗ 個人が欲望や情熱のままに行う利己的な行動は、理性の進歩を前進させるから、社会全体にとって意義がある。
┗ただし、そこには時間整合性の問題があり、当然被害を受ける将来世代のは意思決定の場にいないので、利己的な個人は将来世代のために自己犠牲をしないということが生じる。

 

→『正義論』では、人は完全に利己的なのではなく、「家長」として自分の子孫の利益をも考慮して行動するという修正が加えられている。

 


この議論は今まさに世界が直面していることであると思います。
(今のところ)誰のせいでもないコロナによって、「今を生きる、生き延びよう」という考えが全体的に強まっているものの、
グローバリゼーションからローカライゼーションへの意識が高まることで、“ムラ”や“家系”という意識が増すのではと思います。