『武士道』を読んで、今このタイミングだからこそ、自分たちの会社のバリューについて考えた

今週は『武士道』を読んだのですが、武士道はまさに今、私たちの会社に求められていることなのかもしれないと思いました。

 

 

この本自体は新渡戸稲造が海外の人向けに武士道とはなんぞや、ということを記した本になるため他の宗教や考え方を知らずして読むのが大変でした。

 

「武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である」
「武士道は確固たる教義もなく、守るべき公式もないので、一陣の風であえなくも散っていく桜の花びらのように、その姿を消してしまうであろう」

 

私は武士道の素晴らしさは

「〇〇はしてはいけない」「〇〇をしなければならない」

ということを逐一示さなくてもいい(いや、むしろそれを示すことが恥ですらある)というところだと思います。

なぜなら、武士道では

「武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である」

という文中の言葉にあるように、

武士たるもの死に様ですら武士としての行動が重んじられていて、

その行動を規定するものとして、

義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義

の7つがあり、

この7つを理解していれば自ずと行動が決まるため、

一々「〇〇はしてはいけない」「〇〇をしなければならない」ということを示さなくてもよくなります。

 

これを会社のバリューに置き換えると、

S社には3つのValueがあり、このValueを理解していれば自ずとそれに従った行動をとり、

一々「〇〇はしてはいけない」「〇〇をしなければならない」ということを示さなくてもよくなるんだと思います。

 

さらに文中で武士道はノーブレスオブリージュと同義だと記されており、

私たちの仕事も武士道を重んじたりノーブレスオブリージュでありたいと思いました。

 

そのためには、座学でこの3つのValueがなんぞやということを学ぶ必要性がないわけではないですが、

どちらかと言うと日々のちょっとした行動から3つのValueをそれぞれが意識していく、

例えば「あの企業微妙」という発言があったとすると、

「あの企業微妙って発言はないよね」という指摘は都度するべきですが

そんな指摘なんかよりも、そもそも

「あの企業微妙」って発言そのものが自分たちのバリューに当てはまっていないということを発言する本人が気づけたらいいなと思うんです。

 

この発言は良くて、この発言は良くないと一々ジャッジしてたらキリないですからね。

 

「武士道は、サムライがつくり、サムライによって育てられ、その育て上げた武士道がさらなるサムライを鍛え上げるといった、日本固有の修行精神だった」

 

会社においても、ミッション、ビジョン、バリューが存在し、
これらは一応定義づけして明文化はするけど、
明文化することに意味があるのではなく日々の社員一人ひとりの行動によって浸透し、
さらにそれは育まれていくもの(最初から完璧ではない)んだと思いました。