『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』から、意味などないものもある、ということを学ぶ

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』を読みました!


下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

 

「なぜ学ぶのか」と子どもに問われると、
「なぜなら」と自分なりの回答をしがちですが、
この本では、教師が生徒からの「なぜ学ぶのか」という問いに答えることで
・本来は意味などない教育に意味を付与しなければならず、
・その問いをした子どもを”消費者”と認定してしまうことになり、子どもは学びを消費する人、つまり学びを評価する人になってしまう
ということを記されていてハッとしました。

 

さらに、学びの意味を問う人は学びを制限されている側になったことがないから問えるんだ、
みたいなことが別の例えで記されており、
学びを制限されている人からすると学びは”贅沢な遊び”であり、その意味を問うことすらしないんだと思います。

 

また、スターウォーズを例に、

「師であることの条件」は「師を持っていること」

であり、師はいつか弟子に負けるが、師が師を持っている以上本当の意味で弟子が師に勝つということはないということを記されており、

だからこそ、短絡的に誰かに勝ったから偉いとかではなく、一生努力し続けるということになるんだと思います。

 

 

まとめると、

下流志向になる人には師がおらず、「師」とは「志」でもある

・学びは目的がないから学びになり、その目的のない学びが志になるのではないか

と思いました。