『なめらかな社会とその敵』を読んで、複雑な世界を複雑なまま生きることの自由について考えた

なめらかな社会とその敵』を読みました。
哲学、生物学、数学、物理学、金融など幅広い知識にて世の中を捉えられており、物事の視点の広さに理解が追いついていないものの、
重要だと思ったポイント3つ挙げます。
①なめらかな社会とは
PICSYについて
③自由について

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 それぞれについてポイントと感じたことを以下に記します。
 
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①なめらかな社会とは
そもそも境界自体を消し去り、なめらかな社会をつくることはできないのだろうか。
それは、今までの社会がもっていた、世界を単純に観ることによって成立してきた秩序を破壊することに他ならない。複雑な世界を複雑なまま生きることを可能にする新しい秩序、それがなめらかな社会である。
 
この一文に全てが込められていると思います。
 
人間の脳の認知能力には限界があるため、人間は複雑な世界をそのまま見るのではなく単純化して見ていますが、
これは複雑な世界の見方を変えただけに過ぎず、根本的な問題が解決していないことはあらゆる側面において存在します。
そこにインターネットやコンピュータの登場し、それらによって認知能力が桁違いに増大するからこそ、
複雑な世界を複雑なまま生きる手助けをすることができるという点にいてインターネットやテクノロジーはすごいんだと思います。
 
さらに、「複雑なまま生きる」という点がポイントだと思っており、
インターネットやテクノロジーによって業務負荷が削減されたとき、今までと同じ単純化されたメガネで物事みていないか。
 
複雑なまま生きるために、自分の頭で考える力がより一層問われると思いました。
 
 
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PICSYについて
なめらかな状態は、非対称性を維持しつつも、内と外を明確に区別することを拒否する。ある状態から別の状態までは連続的につながっており、その間のグレーな状態が広く存在する。
 
中間的な状態が豊かに広がる社会では、お互いに完全に一致するアイデンティティを探すことはほぼ不可能で、万人がマイノリティであるような世界をつくりだす。今までの例外状態が例外ではなくなり、フラットやステップのような両極端な状態のほうが例外になる。
 
 
このような、“なめらかな社会”を実現するための貨幣システムに“PICSY”があり、
今の決済貨幣(SECSY:Settlement Currency System)は会社内外で明確に線を引き、
会社の利益追求する結果、社会全体への貢献が置き去りになることもしばしばある点に課題があるということがわかりました。
 
PICSY(Propagational Investment Currency System):
・価値が伝播するという興味深い性質をもった貨幣システム。ある取引が行われると、その影響はそこで完結するわけではなく、サプライチェーンを通して次の財とサービスを生み出していく。
・全ての取引は投資
 
PICSYな社会
・貨幣システムの本質から組織を仮想化することを志向している。カンパニーは単なるインターフェイスにすぎない
 
 
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③自由について
(複雑な世界を複雑なままとらえようとすると責任を1ヶ所に押し付けることは到底不可能だが、社会を回すために責任を押し付けることから)

責任を押し付けること、引き受けることは、自己と他者の間に境界を引き、自由なき自由意志の感覚を生み出してゆく。

 

自由とは、与えられた選択肢の中から選択することが可能であることは決してなく、複雑なまま生きることが可能であることをいう。複雑なまま生きることができれば選択肢は自然に生成する。新たな選択肢を生み出すことができる稼働領域の広さ、それが自由なのである。

 

“自由に生きたくない”と思う人は多くないと思いますが、その“自由”とは何なのかについて考えさせられました。
 
ここでも記されている“自由なき自由意志”のことを“自由”だと錯覚しているかもしれませんね。
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「なめらかな社会」そのものが理想的なものであり、現実との乖離があるものの、
今ある現実が全てではない、今ある現実も変わる/変えられるということは確かなんだと思いました。