この本は台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンについて幼少期から直近のコロナウイルス対策に至るまでのエピソードとともに人となりについて理解をすることができました。
注目すべきは、オードリー・タンはたしかに幼少期から天才だったものの、
自分と他者(世の中)との関係性を常に俯瞰して見ているところに彼女の天賦の才があると思いました。
最近自分自身の心が乱れて結果が空回りしてしまうものの、
彼女のエピソードを読みながら大きく深呼吸をして取り組もうと思いました。
有名な言葉で以下があります。
天才とみなされない多くの人々には、自分にしかない輝きがある。天才とみられる多くの人には、自分にしかない闇がある。どちらも素晴らしく、美しい。存在すべきはIQよりもこの美である
私含め大半の人は天才じゃないですし、天才じゃない人は自分のできないことばかり目がいって勝手に落ち込んでしまいますが、
天才じゃないからこそ自分にしかできないこと、自分だからこそできることに目を向けることの美しさがあるんだと思います。
この”美しい”という表現がまた美しいですよね。
最後にオードリー・タンが用いていた偉人、書物の引用でマハトマ・ガンジーの3段階の理論が記されていたのですが、これよんでハッとしました。
1つ目は「人々はあなたを無視する」で、新しい物事を始めると、往々にして人々から無視される。2つ目は「人々はあなたを嘲笑する」で、これをやっても意味がなく、徒労と感じさせられる段階だ。最後は、「人々は最初からそうだったように感じる」で、すでにその変化が人々の精神や文化に溶け込み、生活に入り込んでいる段階だ。
まず、「無視する」よりも「無視される」側にまわれているのか、と。
「無視される」ということは何らかしらアクションを起こしたという事実がありますが、「無視する」というのは能動的であるようで実は受動的であり、one of themの行動だと思います。
そして、「人々は最初からそうだったように感じる」というようなものが生み出せたのか、と。
「人々は最初からそうだったように感じる」という状態にするまでには並々ならぬ努力があります。
「人々は最初からそうだったように感じる」という状態になっているということは「当たり前」になっているからこそ、「有難い」ということはなくなるため、周りから感謝の心は持たれづらくなります。
なので、感謝されようと思ってわかりやすく短期的かつ目に見えやすいことに着手しがちですが、本質はそこじゃないと思います。
本質は「人々は最初からそうだったように感じる」ということをつくることであり、そこに対して見返りを求めないことだと思います。
そこに人間的な成長や深さ、美しさがあるのかもしれないと思いました。