『幻の総合商社 鈴木商店―創造的経営者の栄光と挫折』から、後世に残る会社を作ることの意義を感じた話

『幻の総合商社 鈴木商店―創造的経営者の栄光と挫折』
を読みました!
これは軽工業から重化学工業へと移り変わった明治から大正にかけて、
短期間で三井物産の年商を超え、そして倒産した鈴木商店ならびに番頭金子直吉さんの話です。(1989年初版)

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鈴木商店の傘下で発展または源流のひとつになった企業は数多く、
鈴木商店の栄光と衰退の中から今のスタートアップにも通じる点がありました。
 
その中でポイントは3つです。
 
●国の発展には産業を作ることが大事
鈴木商店の金子さんは「国益志向的経営理念」を掲げ、
「国家目標=「産業自立」」
という言葉が文中に何度も登場したことから、金子さんの意思決定においてもかなり意識されていたんだと思います。
金子の事業の目標は、国家経済の確立と国民の福利増進にあって、利潤追求は第二次であった
からこそ、関連企業の社名に財閥家族の姓を用いなかったり、株式会社化も他の商社に比べて遅かった。
 
●資源が乏しい日本において総合商社はつくられるべきしてつくられた
貿易草分け時代のわが国は、アレクサンダー・ガーシェクロン流にいえば、後進国的状況において、開発されるべき事業分野は広い範囲に及んでいるのに、これに挑戦すべき企業経営者資源は乏しかった。
かくしてこのギャップを埋めるという課題を担って、国家目標である「富国」(産業自立)の達成に邁進する、当時のわが国の有能な企業経営者にとっては、経営理念においては国益志向、経営戦略においては多角化志向が、工業化の初発より自明のこととして受け入れられたのである。
国の成長のためには産業をつくる必要があるが、起業家人材が少ないため、工業化の流れも相まって多角化が行われたとのことで、
世界中の情報に基づいて資源の輸出入を行う総合商社が発展したんだということがわかりました。
 
鈴木商店衰退の原因
(1)急激に事業を拡げすぎて人も組織もその大発展にマッチしなかったこと
(2)企業金融を台湾に依存し、他の財閥のように固有の銀行を系列下に熟成することをしなかった
とのこと。
産業自立のための多角化戦略鈴木商店に限らずどの商社もやっていましたが、
多角化によって子会社、工業が一気に増えたときに、
他の商社は人々の気持ちをつなぎ合わせるものとして、同族経営や名実ともにグループ化したのに対し、
鈴木商店は国家と国民を意識しすぎた結果、「鈴木」というブランド意識醸成や意識統一が遅れたのかもしれません。(いや、正確には金子さんは鈴木ならでは、というものをわざわざ打ち出す必要性を感じていなかったのかもしれません)
それであるが故に、米騒動では国民の怒りの矛先にされてしまい、槍玉に挙げられたんだと思います。
鈴木商店そのものは倒産していましたが、後世に残る会社を多く生み出しています。
このことから、必ずしも自分たちが生き残る必要はなくて(生き残るに越したことはないですが)、
「産業創出による国家の繁栄」
という鈴木イズムが受け継がれていくことの重要性を感じました。
*“産業創出“の産業について、まだまだ何を持ってして生むべき産業なのかがみえていないので、今後の宿題にします。