『禅と日本文化』を読んで、”そのまま”みることの重要性を学ぶ

『禅と日本文化』を読みました!
これは昭和15年(1940年)鈴木大拙さんが外国人に禅を通して日本人についてを伝えるために書いた本で、
『そのまま あるがまま as it is 暮らしにお茶を』で紹介されていたことから読みました。

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真珠湾攻撃が1941年なので戦争真っ只中でどんなことが記されているのか(ちょっと右寄り?)と半ばどきどきしながら読み進めると、
寄りすぎることなく、真正面から日本人について記されていることに驚きました。
また、禅が日本に伝来したのは鎌倉時代と言われ、
当時は貴族に反対されたことから京都を避けて鎌倉の北条一族の庇護の下に興り、そのことから関東武士との結びつきが強くなり、
さらに禅院は通例山林にあるので自然との密接な関わりをもっていたとのことで、
以下に記す禅の性質からしても上記背景と結ぶべくして結びついたんだなということがわかりました。
 
<禅の性質>
・禅は理論と言語的解釈を超える。仏陀の精神を直接に見ようと欲するのである
・モットーは「言葉に頼るな」(不立文字): 言葉は代表するものであって、実体そのものではない
・体験的であり、科学は非体験的である。体験的なるものはまったく個人に属し、その人の経験を背景としなくては意義を持たぬ。
・禅の茶道に通うところは、いつも物事を単純化せんとするところにある。
・悟りの原則は事物の真理に到達するために概念に頼らぬことである。概念は真理を定義するには役立つが、われわれが身をもってそれを知ることには役にたたぬ。
 
とあるように、
禅とは物事を言葉や概念というフィルターを通すのではなく、”そのまま”見ることを良しとし、
自己と他者の区別をせず、自分自身もそこにあるものの一つとして捉える、”在り方”なんだということがわかりました。
そして、因果関係は読み取れなかったですが、
『武士道』でも『弓と禅』でも近いことが記されており、
武士道をはじめ、茶道、剣道、弓道と「道」がつくものは禅と同義なのかもしれないと思いました。
 
誰に勝ちたい、評価されたいと思うことも大事です。なぜそれをやるのか、意味を知ることも大事です。
でも、そんな表層的で、誰もがすぐ理解できるところに真意が潜んでいるはずもなく、
私たちが過去から受け継いできて未来へと伝承していくべきものは、”そのままを見る眼”なんだと思います。
この本で記されている日本人になかなかなれていないですが、
ここき自分の伸び代を感じて頑張っていきます。
 
<日本人について>
・日本人は自分たちが最も激しい興奮の状に置かれることがあっても、そこから自己を引離す一瞬の余裕を見つけうるように教えられ、また、鍛錬されてきた。
・日本人の心の強味は最深の真理を直覚的につかみ、表象を借りてこれをまざまざと現実的に表現することにある。