『答えのない世界を生きる』を読んで、文化系学問を追求しているみんなへのエールを感じた

『答えのない世界を生きる』を読みました!

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これは出口さんがYoutubeの公演でおすすめされていた本なのですが、何が正しいかは結果論だ、というのがすごく印象的でした。
行為が正しいかどうかは社会的・歴史的に決まる。美しいから美人と呼ばれるのではない。逆に、社会の美意識に合致する人が美貌の持ち主だとみなされる。善悪の基準も同様だ。悪い行為だから非難されるのではない。我々が非難する行為が悪と呼ばれるのである。
逸脱する少数派が肯定的に受け容れられるか、あるいは否定的に拒否されるかは、行為の性質や主張の内容からは決まらない。何が正しいかは結果論だ。
自分が正しいって思っていることは「今」だから正しいのかもしれないし、「ここにいる」からこそ正しいという結論になるのかもしれない。
それが「今」じゃなくなったり、「ここ」じゃなくなったら、その正しいと思っていることは変わる可能性がある。
それくらい私たちは答えのない世界にいるんだと思います。
だからこそ、私たちは学び続けるんだと思います。
 
その学びのアプローチとしてして、筆者は日本で生まれ育ち、現在はフランスの大学で社会心理学の研究をされていることから、文化系学問の重要性を説かれていました。
社会科学系の研究者は何のためにいるのか、
フランス生まれではない日本人がフランスの大学で教えること、
について筆者の苦悩も描かれているので現役大学院生は共感できる所が多いのではと思います。
文化系の学問は己を知るための手段である。自分を取り巻く社会の仕組みを読む解く、自分がどのように生きているのかを探る行為だ。
 
「どうしたら独創的な研究ができるのか」
この問いは出発点から誤っている。斬新なテーマやアプローチを見つけようとする時、すでに他人との比較で考えている。そこが、そもそも独創的でない。
 
人文学を勉強しても世界の問題は解決しない。それで社会が少しでも良くなるわけではない。自分が納得するために考える。それ以外のことは誰にもできない。
 
文科系学問が扱う問には原理的に解が存在しない。そこに人文学の果たす役割がある。
 
「正しい答えが存在しないから、正しい世界の姿が絶対にわからないからこそ、人間社会のあり方を問い続けなければならない」
社会をより良くするために文化系学問を学ぶというのはおこがましいし(社会がより良くできたらラッキーくらいに思っておく)、
「この偉人はこういってたから」や「なんとか論ではこう記されているから」などという知識の引用だけではなく、
自ら問いを立て、自らの言葉で語ることをやっていきたい。