『志を育てる』を読んで、悩むと考えるの違いについて知ることができた

『志を育てる』を読みました!

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志とは、
「一定の期間、人生をかけてコミットできるようなこと(目標)」
と定義されており、
まさに、今ブラッシュアップをしているOKRのObjectiveと同義だなと思いました。
 
OKRのOも志も「いきなり設定しましょう」と言われて思い悩む時間ってあると思いますが、
この本には「悩むこと」と「考えること」の違いについて以下のように記されていました。

・悩んでいる:抽象度の高いフレーズだけが頭の中を渦巻いており、ある種の思考停止状況になっている場合が多い。

 

・考えている:本来、何について考えなければならないのかという論点を整理し、できるだけ抜け漏れなく、次に対するオプションを洗い出し、(つまり考えを詳細化、具体化し)、自らの価値観に基づく評価基準を決め、絞り込むために、思考を深めているという状態を指す。

こう見ると、一見悩むことはダメなことのように感じますが、悩んでいることを自覚していたらOKで、
ダメなのは悩んでいるだけなのに、考えていると思いこむことです。
 
人生やキャリアについても同じです。
「どうしよう」って思うことは論点が明確になっていないので考えている風(ふう)なだけで、本当に解決策を見出すのであれば、なぜどうしようって思ったのか、何にもやもやしているのかを明らかにし、どうやったら解決できるのかを考えないといけません。
 
私はできる限り「考える人」を増やすためにあれやこれや細かく言うことを避けています。
言わないとわからないじゃないか、という意見があることもわかりますが、
一方で、言うことで考えることを止めて、言われたこと以上のことを考えなくなることを恐れています。
 
なぜなら、考えている風で社会はよくならないからです。
いろんなところで社会の課題に対するアクションがされていますが、社会の課題は何か一つ解決したところで解決はできません。(だから”社会”課題だと言われていると思います)
考えて、アクションして、考えて、アクションして、をこれでもかというくらい繰り返してやっと社会は少しだけ良くなるくらいのものだと思います。

志は事前に何かにコミットするという意思決定であり、重要なことは、誰かが決めた目標や規範に乗っているかどうかよも、それに「自分自身が乗ることを決めた」という部分

と本に記載されているように、自分が何にこだわりたいのか自分ルールをクリアにして、
それをもとに自分で決めて、一つ一つやっていくというのが本質的に重要なことなんだと思います。

『答えのない世界を生きる』を読んで、文化系学問を追求しているみんなへのエールを感じた

『答えのない世界を生きる』を読みました!

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これは出口さんがYoutubeの公演でおすすめされていた本なのですが、何が正しいかは結果論だ、というのがすごく印象的でした。
行為が正しいかどうかは社会的・歴史的に決まる。美しいから美人と呼ばれるのではない。逆に、社会の美意識に合致する人が美貌の持ち主だとみなされる。善悪の基準も同様だ。悪い行為だから非難されるのではない。我々が非難する行為が悪と呼ばれるのである。
逸脱する少数派が肯定的に受け容れられるか、あるいは否定的に拒否されるかは、行為の性質や主張の内容からは決まらない。何が正しいかは結果論だ。
自分が正しいって思っていることは「今」だから正しいのかもしれないし、「ここにいる」からこそ正しいという結論になるのかもしれない。
それが「今」じゃなくなったり、「ここ」じゃなくなったら、その正しいと思っていることは変わる可能性がある。
それくらい私たちは答えのない世界にいるんだと思います。
だからこそ、私たちは学び続けるんだと思います。
 
その学びのアプローチとしてして、筆者は日本で生まれ育ち、現在はフランスの大学で社会心理学の研究をされていることから、文化系学問の重要性を説かれていました。
社会科学系の研究者は何のためにいるのか、
フランス生まれではない日本人がフランスの大学で教えること、
について筆者の苦悩も描かれているので現役大学院生は共感できる所が多いのではと思います。
文化系の学問は己を知るための手段である。自分を取り巻く社会の仕組みを読む解く、自分がどのように生きているのかを探る行為だ。
 
「どうしたら独創的な研究ができるのか」
この問いは出発点から誤っている。斬新なテーマやアプローチを見つけようとする時、すでに他人との比較で考えている。そこが、そもそも独創的でない。
 
人文学を勉強しても世界の問題は解決しない。それで社会が少しでも良くなるわけではない。自分が納得するために考える。それ以外のことは誰にもできない。
 
文科系学問が扱う問には原理的に解が存在しない。そこに人文学の果たす役割がある。
 
「正しい答えが存在しないから、正しい世界の姿が絶対にわからないからこそ、人間社会のあり方を問い続けなければならない」
社会をより良くするために文化系学問を学ぶというのはおこがましいし(社会がより良くできたらラッキーくらいに思っておく)、
「この偉人はこういってたから」や「なんとか論ではこう記されているから」などという知識の引用だけではなく、
自ら問いを立て、自らの言葉で語ることをやっていきたい。

『心理学的経営―個をあるがままに生かす』を読んで、組織において無秩序から秩序化そして無秩序化の動きの重要性を知る

『心理学的経営―個をあるがままに生かす』を読みました!

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これはリクルートの創業メンバーとしてSPIの元になるものをつくった大沢武志さんの本で、
PM理論や目標設定理論、ホーソン実験、知覚(感覚/直感)と判断(思考/感情)など、フレームワークも多く記されていました。
その中でも以下2点、印象に残りました。
 
●心理学的経営というものについて

「結局心理学的経営の目指すところは、人間をあるがままにとらえるところから出発して、人間を大事にする経営ということになろう。では人間を大事にするというのはどういうことかと考えると、つまりは、一人ひとりの人間を尊重するということ、すなわち「個性」を尊重するという考えにたどりつく。」

という箇所がすごく印象的でした。
人間というものは、雨の日はなんとなく気分が落ち込んだり、賢い人と話すとテンションが上がったりと、1日の中でもコロコロ気分は変わり、別人とまではいかなくともいろんな人格をもっているものであり、全然合理的に判断しないこともある。
だからこそ、人間を大事にする、すなわち尊重する、ということが心理学的経営だというのはすごく共感しました。
 
●活性化について
「人間という生命体は無秩序な状態から秩序化された状態を自己組織化する過程で、無秩序を放出し、エントロピーを増大させるという矛盾した存在なのである。」
 
「活性化された組織はいわば雑然とした無秩序な世界である。」
 
「活性化は、既成の構造としての秩序を破壊することからはじまる」
 

「現状の自己否定が組織に葛藤と緊張をひき起こし、組織内の均衡状態を崩していく。これがカオスの演出という活性化のための最初の戦略として認識されなければならない。」

 

「ゆらぎが増幅され、一定のクリティカルポイントを超えたときに、破壊や革命が起こる。組織活性化の最終ゴールは破壊のための破壊ではなく、新しい創造のための破壊である。」

とあるように、
無秩序な状態から秩序化していく動きがある種の”組織化”である一方で、
秩序化された組織というものにイノベーションは起きないからこそ、
それをまた壊して無秩序な状態にすることが”活性化”であるということがわかりました。
 
確かに一個人でみても入社した当時は慣れないことばかりで一定の緊張があるものの、やっていくうちに仕事にも環境にも順応し、慣れてくると新しいことをしたいと思うように、
無秩序→秩序→破壊→無秩序→秩序…
を知らず知らずのうちに繰り返しているものだと思います。
だからこそ、
何の意味もなく破壊することや破壊のための破壊というものはそれそのものは否定はしないものの、組織の再構築という意味において無意味
だと思います。
それをやった結果どうなるのか、何のためにそれをするのか、
想像力をもって一つ一つやっていきたいと思います。

『限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭』を読んで新しい経済の仕組みが必要な理由を知る

限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭』を読みました!

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この本では封建制度から遡ってなぜ資本主義というシステムが生まれたのかを
コミュニケーション/エネルギー/輸送
のキーワードとともに振り返ることができました。
中でも19世紀前半、
 
蒸気印刷と電信/蒸気の動力/蒸気機関車
によって、経済的資源を集め、輸送し、加工し、製品に変え、顧客に到達させるときの速度と信頼性が劇的に高まった。
ステイクホルダーが増え、それらを統制する官僚制度とお金を集める仕組みとして株式会社並びに株式公開企業ができ、その結果ニューヨーク証券取引所の重要性が増した。
 
という一連の流れから、
資本主義というのは、主義が先行して生まれたのではなく、
コミュニケーション/エネルギー/輸送の3つが揃うことでそうせざるを得ないようになったんだと思いました。
 
新しいテクノロジーによって生産性を高めるほど限界費用はほぼゼロになり、財やサービスは無料になるため、
利益という概念がなくなると同時に、稀少性よりも潤沢さが増すからこそ、
生産と消費を分けることなく、生産消費者は自らの財とサービスを協働型コモンズにおいてシェアするような社会になるのではないか、と記されていました。
 
上記の理由からGDPの伸びが鈍化する理由として、
高いエネルギーコスト、人口動態、労働人口の伸び悩み、消費者と政府の負債、世界の収入のうち富裕層に回る額の増加、出費を嫌う消費者による買い控え
のみならず、
限界費用がゼロになることで、利益が縮小することも要因として挙げられていました。
そして、新しく経済発展の度合いを測る基準として「生活の質」がすでに欧州連合や国連などで導入されており、
今後重要性が高まるだろうと記されていました。
 
2015年出版の本であるもののここに記載されている方向へと着実に不可逆的に進んでいることから、
私たちは想像力を持って、未来をつくりたいと思います。
 
———MEMO———
パラダイム」とは信念と仮定から成るシステムのことで、そうした信念と仮定は一体となって作用し、統合された一つの世界観を確立し、その信憑性と説得力から、ほぼ現実のものと見なされる。
●エネルギー
熱力学の第一の法則と第二の法則は、「宇宙のエネルギーの総量は不変で、エントロピー(モノと熱の拡散の度合いを示す物理量)の総量はたえず増加している」としている。
第一法則(エネルギー保存則)は、エネルギーは生み出すことも消し去ることもできない
第二法則によれば、エネルギーはつねに、「熱」から「冷」へ、集中から分散へ、秩序から無秩序へと移動する。
あらゆる経済活動は、自然界に固体、液体、あるいは気体で存在する有効エネルギーを利用し、財やサービスに変えることで生じる。
→循環型経済の中で地球の資源をより少なく、より効率的・生産的に使い、炭素系燃料から再生可能エネルギーへ移行するというのが、今出現しつつある経済パラダイムの決定的特徴だ。
●生産性
生産性とは、「生産に必要なものに対する生産物の比率(生産物の総量をその生産に必要なモノの総量で割ったもの)として計算される生産効率の指標」だ。
生産力の上がる新技術を導入し、自社の生産コストを下げ、財やサービスの価格を下げて、いくと生産性は頂点に達

『無心ということ』を読んで、このままだけどこのままじゃいけない、そんなことについて考えた

『無心ということ』を読みました!
 
成長したくないからやってない、これは矛盾していないのでOKです。
成長したいからやる、これも矛盾していないのでOKです。
やっかいなのは、成長したいけどやってない、というもので、
これは言葉と行動が合っておらず、自分に嘘をついていることになります。
 
現行不一致を自分自身の中で起こし続けた結果、自分の本当の気持ちがわからなくなります。
なぜなら、私たちは今自分がやっていることが正だと思いこみたくなり、本来自分がやりたかったことが、今自分がやっていることに侵食されていくからです。
 
そして、自分に嘘をつき続けて自分の本当の気持ちがわからなくなると、気持ちに鈍感になるので相手の気持ちもわからなくなります。
 
相手の気持ちがわからなくなると、相手の気持ちを考えなくなります。
 
仕事というのは相手ありきであり、相手がいる以上相手の気持ちを考えるということは必要不可欠であり、
相手の気持ちを考えるためには相手の気持ちをわかる必要があり、
相手の気持ちをわかるためには、自分の気持ちをわかる必要があります。
 
自分の気持ちをわかるためには、自分との約束は小さくてもいいから守らないといけないし、
守れなかったときは守れなかったことをちゃんと自覚し、覚えておかないといけないと思います。
 
この本にはそんな自分の気持ちについて考えることができることが記されていました。
 
「無心」といっても何も考えないということではなく、善悪を超越したところに心を置くという意味なのかなと私は思いました。
否応なく時間は過ぎていく中で、このままでいいかと言われると、だめ。
一方で、何か今すぐできるかというとできない。
じゃあ、どうするか。
 
なるようになることもあれば、なるようにならないこともある、そんなアンコントローラブルな時間の中で、
一つ一つ、自分との約束を守っていって積み重ねていくんだと思います。

「ほかにあると言ってもほかにあると見ない。ほかにあると見ないが、そんならこのままでいいかというと、このままではいけないところがある。このままであって、またこのままではいけない、いけないと言ってまた別に何もない、しかしこれがつまりは人間です、この世界なのです。」

「有と無との間というか、有りでもない無でもないところを歩んでゆくところに、いわゆる人間的無心なりものを認めたいのである。
無心で有心の世界、有心で無心の世界、神ながらでなくてしかも神ながらの世界、自然本能を否定して、しかも自然本能の働きで働く世界ーこれが無心で超道徳の世界だ。」

 

また、「無心」というのは宗教の枢軸とのことから、宗教の特徴についても多くの記載があり、学びになることが多かったです。
 
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・受動性が宗教にはある
「塞がったところは、すでに何かものがあるので、そこでは受動が可能でないのです。何もないから入れられる。自分に何かあると思うからはいって来るものに対して抵抗する。」
「宗教の極致というものには、木や石のようになってよいというところがあるのです。」
「木や石などを木たらしめ石たらしめるところの、何か無意識的なものに突き当たるのです。そこに絶対的受動性というようなところがある。」
 
・解脱は宗教の終局の目的
私たちは対立の世界にいて、対立の世界にいるから苦痛があり、苦痛から出たいと思うのが人間で、そこから出るということはそれを棄てることになり、棄てることは全ての値打から離れるということになる。
「解脱は、単に離れてしまったということではなくて、そこには自主、自由というものがなくてはならぬ。」
「解脱するということは自由を得ようとすることに外ならなぬのです。自由を得ることは善悪などの値打のつけられる世界を超越してしまうことです。」
 
・柔軟性
道元禅師の「身心脱落、脱落身心」
「どこを押しても、柔軟で、包容的で、何でもその中に容れてゆくのである。これが身心脱落の境で、これでないと、ものが容れられない。これが宗教の本体だ。身心脱落、脱落身心でなにもないかというと、柔軟心というものがある。」
「身心脱落ということは空になることではない、何かある。あるが、そんならそれを掴もうと思うと掴めなくなってしまう。」
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『空白の桶狭間』を読んで、秀吉と信長の関係性から今の時代にも通じることを学ぶ

『空白の桶狭間』を読みました!

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作者の想像力の豊かさが印象的で、
「信長が圧倒的な兵力の今川義元を破った戦い」
の裏側で本当にこんなことがあったのかもしれないと思わされました。
意外と今の時代にも通じるような教訓もあり面白かったです。
 
・嫁と子を持たない人は信頼におけないことを信長から聞いた藤吉郎の回想シーンで、
藤吉郎は<山の民>の子として、丹羽で訓練したとき、
「<山の民>は、里に下った仲間を三代まで、教育を施し、自分たちの伝承を密かに守る仕来りになっている」
ことを教わり、山の民としての血統へのこだわりを記されていました。
 
・藤吉郎が留守の間に部下たちに馬乗りなどの訓練をさせておくよう命じたとき、

「人は皆、その地位より一つ上のことをさせれば、目の色が変わる。一つ下のことをさせれば、目まで死んでしまう」

地位より上のことをさせてもらった本人は勘違いすることなく、これが身分相応ではないこと、身の程を知ることが重要ですが、
その上に立つ者は地位より上すぎることなく下すぎることなく一つ上のことをさせることが重要だとのことで、
これは誰にでもできることではないからこそ、これができる人は人の上に立つ資格があるのか、と思いました。

『両利きの経営』を読んで、イノベーションのジレンマの言葉の意味が変わった話

『両利きの経営』を読みました!

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組織は探索にて見つかった市場に対して深化を進めていき、わかっていつつも成功を追い求める結果、新しい探索にリソースを割くことができなかったり、同じ指標で新しい探索を捉えてしまい、衰退してしまうことが歴史上わかっており、
これをイノベーションのジレンマということはなんとなく知っている人も多いかと思いますが、
それを乗り越える方法として”両利きの経営”というものが存在し(むしろ両利きの経営の方が今は有名)、
両利きの経営について具体的な企業の事例とともに記されている本でした。

 

・探索:なるべく自身・自社の既存の認知の範囲を超えて、遠くに認知を広げていこうという行為。

 

・深化:探索などを通じて試したことの中から、成功しそうなものを見極めて、それを深掘りし、磨き込んでいく活動。

→成功企業ほど深化に傾注する結果、サクセストラップ(成功に向けた構造、システム、プロセス、指標を開発しようと懸命に頑張ってきた人たちは、特に低収益事業に不確実な機会があるからといって、これまで以上に築き上げてきたものを変えたがらない)に陥る

 

「両利きの経営を引っ張っていくには、感情的にも戦略的にも明確であることと、矛盾を受容できることが求められる」

という最後の方にある一文がすごく印象的で、

両利きの経営は矛盾を解消するものというよりは、矛盾を前提に置いて前に進めるということだと思いました。
 
そして一見すると矛盾しているように見える新規事業の部門と既存事業の部門を両立させるためには
組織や評価は分けたほうがいいものの、完全に切り離さずに、共通のミッションによって繋ぎとめることの重要性がいろんな角度にて記されていました。
 
よって、イノベーションのジレンマの一言で片付けるのではなく、その矛盾をどうやって乗り越えていくのか、そんなことについて考えるきっかけになりました。