『VCの教科書: VCとうまく付き合いたい起業家たちへ』を読んだら、なぜか組織における自身のポジショニングの話になった

『VCの教科書: VCとうまく付き合いたい起業家たちへ』
を読みました!

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後半部分はかなり実践的な話だったので読み切るまで大変だったのですが、前半部分の
時がたつにつれて利益は同じ勝者に集まる

結局は限られた数の者しか競争に参加することが認められないという点で、VC投資は非民主的

 という言葉がすごく印象的でした。

私の仕事においてはここまで極端に勝ち負けは決まらないかもしれませんが、
マーケットにおいて自身のスペシャリティを示すことができた人には、
さらにマーケットにおいて自身のスペシャリティを示す機会がくるなど
社内外のチャンスが回ってくるものなんだと思います。
こつこつやることはもちろん大事ですし、こつこつやれない人にくるチャンスは運でしかないので再現性はないと思いますが、
でも人と同じことをこつこつやってもチャンスは巡ってきづらいと思います。
なぜなら、その人に任せる理由が見当たらないからです。
なので、自分に任せようと思ってもらうための理由作りを自らする必要があると思います。
第一想起してもらうために自分で布石を打つ必要があると思います。
自分で自分のキャラやスタンスを宣言する必要があると思います。
 
私もできればいろんな人に満遍なく仕事を渡したいと思っていますが、
ビジネスである以上練習とかないし、リソースは有限なのでできる限りその仕事を成功できそうな人に渡しがちになります。
「自分のスペシャリティがない」という人は、
その組織で余っているポジションやピースを奪いにいくのがいいと思います。
誰もやりたがらない仕事に手を挙げてみるのがいいと思います。
 
<VCからの投資を受けた企業の世の中へのインパクトMEMO>
・2017年VC企業による会社への投資額が840億ドルを超えたが、
10億ドル以上の価値の企業に資金が集中しているので、個々の投資数は近年減少している。
・2017年アメリカのVC企業は、およそ330億ドルを投資家から集めた。
バイアウトファンド業界は4500億ドルの資金を集めた。
ヘッジファンド業界は3兆ドルを超える額を運用している。
・公開会社の42%はVCの支援を受けており、時価総額合計の63%に相当する。
こうした会社が雇用総数の35%を占め、研究開発費の85%を占める。
アメリカGDP17兆のうち、0.4%を投資する業界としてはなかなか
 
 
VCが気になる方はこちらも読んでみると良いかもしれません

 

mai14.hatenablog.com

 

『叩かれるから今まで黙っておいた「世の中の真実」』を読んで、できない人への優しい心を持ちたいと思った話

『叩かれるから今まで黙っておいた「世の中の真実」』
を読みました!

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今何が起こっているのか、数字をもとに、
ひろゆきの考察がいろんなトピックスごとに要約されているので、読みやすい本だと思います。
 
情報を鵜呑みにせず、一次情報を取りにいった方がいいし、
自分の中で判断軸を持った方がいいに決まっている。
 
世の中にはそんな“やった方がいいこと”に溢れていますが、
それを“やらなかった/できなかった”結果、躓いたり失敗すると
”自己責任”で片付けられがちなのは少し気になります。
 
やった方がいいよと言われて”やった人”がちゃんと報われた方がいいけど、
やった方がいいよと言われて“やれなかった人”もいることに目を向けたい。
 
「最後に、本書の内容はライターさんや編集者さんに手伝っていただきながらまとめました」
という文章から、これって本当にひろゆきが書いているのかな、実はひろゆきの言葉じゃないのかも、と思いました。

『13歳のきみと、戦国時代の「戦」の話をしよう。』を読んで、戦国時代をざっと振り返る

『13歳のきみと、戦国時代の「戦」の話をしよう。』
を読みました!

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へと、フォーカスが移っていく様を戦いとともに描かれているので、
たくさんの戦いは書かれていないですが、
の6つの出来事の背景をチャーミングに現代語で記されているので、
ストーリーとしてイメージしやすかったです。
個人的には、
本能寺の変の参考文献に太田牛一の『信長公記』が引用されていたのですが、
その太田牛一が主人公の小説『信長の棺』を読んだばかりだったので、
予習したことが授業に出てきて「そうそう、これこれ」ってなる感じを思い出しました。
  

『信長の棺』を読んで、人間の想像力の深さを感じた話

仕事柄、より新しい情報・より新しい本を追い求めているんですが、
たまには過去を振り返る機会を作りたいなと思っていたところにおすすめいただいた一冊、
信長の棺』を読みました!

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織田信長の家臣であり、筆まめ太田牛一の視点で本能寺の変の後信長の棺がどこにいったのか、『信長公記』発表の背景などが描かれています。
 
筆者の想像力の豊かさ、ストーリーの組み立て方からノンフィクションかのように思わせられて面白かったです。
いろんな人のいろんな思惑や打算に、
偶然や運みたいなことが重なり、
思い通りにはいかないところに人生の面白さと難しさがあり、
だからこそ想像力って大事だなあと思います。

『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』を読んで、雇用の”あたり前”の起源を知ることで未来をつくる

新年一発目、『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』を読みました!

これは、
「なぜ、学歴重視なのか」、「なぜ年功序列が生まれたのか」
その理由が書かれている本で、人事、HRに関わるひとは歴史的な背景を知っておくべきだと思いますし、今の”当たり前”がどのように生まれたのかを振り返ることができます。

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この中でも特に興味深かったのは、
・日本でももともと知識層が少なく特権階級的なものだったにもかかわらず、会社のポストに対して知識層が増加しすぎたことによって新卒採用が生まれたこと
・職務とは関係なく、学歴と年齢で賃金を決めるということを経営者も労働者も選択したこと
です。

 

同じようなことを渋沢栄一も『論語と算盤』で記していましたが、
今までは大学にみんな行けなかったので、それに伴って会社のポストも限定できたが、
大学にみんながいけるようになると、大学卒業者しか就けない重要ポストが足りなくなりました。
アメリカでは重要ポストに就ける人を大学院修了者にすることで重要ポストの格を上げましたが、
日本では新卒や女性などボトムを増やすことで重要ポストを増やす(厳密には重要ポストの格を下げる)ということをしています。

 


また、日本会社の中で職種の重要性が薄いのは年功序列・長期雇用を前提としているからであり、
年功序列・長期雇用が許容されている理由は
・労働者:年功序列・長期雇用で生活を保証してもらう代わりに企業にコミットする
・企業:企業内だけで職務や賃金を決定できなくなる
という共依存によって生まれました

 

ここで重要なのはその歴史的背景を知った上で、「日本やばいやん」で終わるのではなく徐々に変えていく(変えられる)ということです。

 

すべての社会関係は、一定のルールに基づいて行われる、利害と合意のゲームである

という文中の言葉にあるように、
「しくみ」は歴史的過程から定着したため一気に変えることは難しいものの、
今の「しくみ」の起源は明治からだとすると、言うても150年くらいのものですし、
透明性と公開性によって合意を得ながら進めることで徐々に変化させられるものだと思います。

 

 

 

<以下本文メモ>

●なぜ職種よりもその会社でのポストが重要視されるようになったのか?
・明治初期に中等・高等教育をうけた元士族が職種にこだわらずに知識層として官職に就いたところからスタートして、
・1869年に官吏においてどの官等の者がどの役職に就くか、それに伴う俸給が詳細に決められ、
これが学校、警察、町村役場、鉄道、官営工場に適応され、
さらに日本の鉱業や製造業などは官営企業の払い下げによって民間企業となりそれらもこの制度を踏襲していた。
 
●なぜ職種よりも学歴が重要視されるようになったのか?
・官吏の試験任用制度はドイツのプロイセンの制度を参考に制定されたものの、
明治の日本では高等教育を受けた人材不足にて高等試験の合格者よりも無試験の帝国大学卒業生を試補に採用
┗ドイツは大学卒業者が供給過剰だったため、官吏になるまでのハードルを設け、時間がかかることから実質富裕層や貴族層でなければ高級官吏になれない
・企業の新規学卒者採用は1985年の日本郵政と三井から始まった
┗当時は高等教育卒業者が少なく人材獲得競争も激しかった
大学令によって1902年には慶應、早稲田など10校の私立大学が大学として認可された(のちに知識層過多につながる)
・明治初期から企業が学校に望んでいたのは、専門能力を保証する学位の発行よりも、「人物」を事前にスクリーニングする機能であり、大学からの紹介がメインだった
1920年ころから企業は成績や紹介よりも、「人物」を重視した選考を行う
┗優良可などの段階方式で成績評価が行われたこと、大学と大学卒業生が急増したから
 
●なぜ、戦後、職種よりも長期雇用と年功序列が重要視されたのか?
・敗戦後、誰もが生存ギリギリの状態だったので、年齢と家族数で決まる生活給がうまれる
・経営者は中高年労働者の賃金を下げ、解雇を進めやすいため職務給と横断的労働市場を称賛したものの、企業内だけで職務や賃金を決定できなくなることから、長期雇用や年功賃金とひきかえに、企業別組合と妥協
→職務とは関係なく、学歴と年齢で賃金を決めることを認める
・大卒職員を昇進させ続けるためには、無駄なポストを増やし続けるか、組織を大きくするしかない。組織を大きくするなら、多数の新卒者を採用するしかない
・1950年代後半以降、女性の賃金が上昇する前に解雇する結婚退職制や性別定年制を、明示的に規定する企業が増えた
・1970年代民衆の進学熱により受験戦争過熱、系列会社への出向や転属を、大卒中高年のポスト不足だけでなく、現場労働者の雇用維持にも活用
・日本の労働運動は長期雇用と年功賃金を労働者にまで拡張させ、職員に昇進しうる可能性を開くという「社員の平等」を志向
→日本の労働者は経営の裁量で職務が決まることを受け入れ、他企業との間に企業規模などによる断絶があることを受け入れた

『ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』を読んで、PL/BS/キャッシュフローの違いを理解する

ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』を読みました!

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“PLじゃなくてBSで考えよう”
みたいなこと言われたとき、恥ずかしながら
”ファクトの数字のみならず、競争優位性やその企業独自の価値が何かを考えればいいんだろうな”、
みたいに思ってたんですが、全然意味を理解していなかったことがわかりました。
この本を読んで一番スッキリしたのはPLとBSがどう連携するのかというところで、
『ざっくり分かるファイナンス』読み返しても、そうそう、となりました。
ただWACCが理解できなかったので宿題です。
 
<以下メモ>
ファイナンスとは:

会社の価値を最大化するために、外部からの調達や事業を通じてお金を確保して、そのお金を事業への投資や資金提供者への還元に分配し、これらの経緯の合理性をステークホルダーに説明する一連の活動

 

ファイナンス思考とは:
「会社の企業価値を最大化するために、長期的な目線に立って事業や財務に関する戦略を総合的に組み合わせる考え方」
会社の施策の意義を「その施策が将来にわたって生み出すキャッシュフローの最大化に貢献するのか」という観点から評価する
●エンジニアの人件費の計上の違い
・製品マスター又は購入したソフトウェアの機能の改良・強化に要した費用→BS資産部の無形固定資産
・製品マスター又は購入したソフトウェアの著しい改良に要した費用→PL研究開発費
●PL/BSは経営者の意図が反映されるが、一切の判断が介在し得ないのが、キャッシュフロー計算書
・実際のお金の受け渡しを知ることができるので買収時ののれんはキャッシュフロー計算書上では買収時支出額が計上され、BSでは無形固定資産の部から均等に償却され、PLでは営業利益から減っていく
●PLとBSのつながり
・デッドで調達したらBS負債の部に計上:利息支払いはPL営業外費用
・エクイティで調達したらBS純資産の部に計上:投資家への配当はPL当期純利益(利益剰余金)
→さらにこれら調達したお金が資産の部に入る
・利益剰余金(PLの当期純利益のうち株主に配当されずに残るお金)はBS純資産の部に計上

『ハーフ・ザ・スカイ――彼女たちが世界の希望に変わるまで』を読んで、男とか女とか関係ないという人にまずは読んで欲しいと思った

『ハーフ・ザ・スカイ――彼女たちが世界の希望に変わるまで』の詳細がアップできていなかったのでアップします!

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”これがフィクションだと思いたい“
あまりに惨虐で、目を逸らしたくなるエピソードばかりで、
読めば読むほど自分の無力さを突きつけられ、
何度も読み進めるのをやめよう、というよりこれ以上読み進められないと思いました。
でも、
「無関心という、もっと静かな、もっと拡散した残酷さがある」
という文中の指摘ならびに
ほぼ同時代に同じ地球に生まれて暮らす人間として
たとえ受け止めきれない現実だとしても最後まで読み、
絶対共感なんかできないし偽善と言われようが、それでも、理解に努める必要があると思いました。
私はもともと、女とか男とかいう話が出た時点でゲンナリし、
女性役員を増やそうみたいな議論ってジェンダー差別を暗に助長しているのではとすら思っていたのですが、
女か男かでこんなにも異なる人生を生きてきた人のエピソードを読み、
彼女たちからすると女か男かはすごく重要で、
女に生まれたばっかりに受けたその残酷な行為を考えると、
“女とか男とか関係ない”
なんて軽々しく言えないなと思いました。
かといって
“国リソースを有効活用するために女性に教育を”
というのもなんか違う。
女性の労働力が増えて、国力が上がるかもしれないが、
全体を引き上げるために女性の社会進出を促すのではなく、
“一人一人の女性が社会進出をした結果、全体が引き上がる”
という順番の方がしっくりくる。
自分はどうするべきか解は見つかっていないものの、
空が半分ではないように、両性が平等であることを証明するためには教育しかない
ということはわかりました。