『家栽の人』を読んで、誰かが決めた評価に則るのではなく、自分で自分の行末を決めることのかっこよさを学ぶ

家栽の人』、まだ3巻までしか読んでいないのですが、知人からおもしろいよ、と紹介をしてもらい読んだら最高でした。

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家裁には“少年少女”の事件や家庭内の問題がわんさかあって、裁判官の仕事は「判決を下す」というふうに見られがちですが、
「家裁」ではなく「家栽」という題名にもあるように
そも後にも続くその人の人生を踏まえて判決を下すことに重きを置かれているので、
この本にはどんな判決を下したのか、その詳細は書かれていないところに面白味があります。
 
 
また、主人公で裁判官の桑田さんは優秀で、そのお父さんも東京地裁の有名な裁判官であり、
桑田さんにたびたび東京の大きな裁判所に異動の話があるものの、
「まだやらなければならないことがあるから」と断って、地方の家裁にずっといる人なのですが、
 
現代であれば、より大きな仕事でより有名になってより稼ぐことが正とされがちですが、行き過ぎた資本主義に対する警鐘をならしているように思いました。
誰かが決めた評価に則るのではなく、自分で自分の行末を決める。
 
 
さらに、桑田さんが司法修習生の頃に検事、弁護士、裁判官の中から裁判官を選んだ理由として、司法修習生のときに
「自分にも矛盾があり、矛盾を抱えた少年を裁くことができないので裁判官に向いていない」
と上長に話をされたときの
だったら、そういう君こそ裁判官になるべきだな。そういうふうに、矛盾を感じない、ボンクラばかりが裁判官になったらどうなる?
という問いかけはすごく本質的で、
裁判官に限らず人様の人生に関わる私自身の仕事にも共感しました。
 
 
有名になりたいとか、お金稼ぎたいとか、社内で一番になりたいとか、褒められたいとか、、、
そんなことなんかよりも大事なことである「私はどうしたいのか」について立ち返ることができました。
 
煩悩をなくそう、とかって話ではなく、あくまで優先順位の話であり、
できれば苦しみや悲しみはあまり味わいたくないけど、
別に楽して生きたいわけじゃない。