『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』を読んで、ビジョンを本当に実現したいなら「こうなりたい」ではなく「こうならざるを得ない」ということ
ほんとうに問題なのは、「なぜ偉大さを追及するのか」ではない。「どの仕事なら、偉大さを追求せずにはいられなくなるのか」だ。
『NEXTOKYO 「ポスト2020」の東京が世界で最も輝く都市に変わるために』を読んで、改めてポスト2020の世界について考えた
本物の魅力は本物にしか宿らない。自分の持ち場で何ができるかを考えることが大事です。
今の日本のBSを改めて調べた
●令和3年国家予算
・2021年度予算案の国の一般会計歳出歳入は106.6兆円
┗歳出は社会保障35.8兆円(33.6%)、国債費23.8兆円(22.3%)、地方交付税交付金等15.9兆円(15%)
┗歳入は所得税18.7兆円(17.5%)、法人税9兆円(8.4%)、消費税20.3兆円(19%)、公債金(借金)43.6兆円(40.9%)
┗ちなみに、東京都の予算は歳出5.6兆
・名目GDP成長率:令和3年見通し4.4%(令和2年が-4.2%、令和1年が0.5%)
https://www.mof.go.jp/policy/budget/budger_workflow/budget/fy2021/seifuan2021/01.pdf
●2020年度名目GDP536.8兆円
・2019年558.3兆円、2010年504.8兆円
●2021年社会保障給付額(予測)
・129.6兆円
┗うち年金58.5兆円(45.1%)、医療40.7兆円(31.4%)、福祉その他30.5兆円(23.5%)にあてられる
┗2010年105.4兆円なので10年で1.22倍に増えている
┗財源は2020年度保険料73.6兆円、税金と借金で50.4兆円、あとその他でいくらか
・2021年国民所得額(予測)393.6兆円
┗国民所得額とはある国の労働者と企業が生産活動に参加したことによって一定期間(四半期、1年など)に受け取った所得の総額を示すもの。 賃金総額(雇用者報酬)、企業の利益(営業余剰・混合所得)の合計額として定義される
これみると、高齢化によって年金と医療費は増えることはみえていて社会保障給付額は増えるめ、
それを賄うために私たちの保険料や税金はあがっていくことは容易に想像できるからこそ、
そこに対するアプローチは急務だということがわかりました。
『世界史を創ったビジネスモデル』と『孫正義 300年王国への野望』から長く続く組織のキーワードは多様性であり、予測を当てるのではなく対応することに意味がある
寛容主義とは、普遍的原理に基づく絶対的政策というよりは、さまざまな条件を考慮した上での判断なのである。寛容とは、相手に対する自信の表れに他ならない。寛容政策は、受け入れる側にとっても一定の資質を必要とする。寛容政策に対する最大の敵は、国内における反対勢力である。
広い領土は持たず、国を全世界に向かって開放する。そして、貿易を中心的な産業とし、少数精鋭で大きな収益を実現する。
また、2010年の段階で孫さんは
「2018年に1チップの中のトランジスタの数が300億個を超え、チップが人間の脳を超える」
という話をしていましたが、
2017年にAlphaGoが世界王者の棋士を破ったタイミングからも
おおよそ2010年に出された30年ビジョンの予想は当たっていると言えます。
ただ、重要なのは予想を当てることではなく、予想を元に対応するところにあります。
予測の精度を高めることで対応の速度を高められることに意味があるのであって、
対応なき予測には意味がないと思います。
私は孫さんや安宅さんやその他研究者が描くテクノロジーでできることをもとに、人間は何ができるのか、人間しかできないことは何か考えたところ、「どんな未来を創るのか決めて動く」という結論が出ました。
もう少しブラッシュアップしますが、少し見えた気がします。
②ビジョン:300年成長のDNAをつくる、「300年成長し続ける企業のDNA設計」を発明、
③戦略:300年成長し続けるために必要なのが「同志的結合」と「アカデミア」
ソフトバンクは1981年に創業し、2009年に営業利益4658億円で日本3位の会社になりました。
『美学への招待』を読んで、美とは作り出すものではなく結果論であるということがわかった
藝術の本領が美にあり、その美は感性的に認識される
美は作り出されるものというよりは、恵として与えられる」
『四書五経入門』を読んで、人の使命はそのままの自分自身を捉え、全うすることだと思った話
われわれが四書五経を読み、またはその来歴や内容についての著述を読むその目的は、中国思想の理想を深めるためというよりは、むしろわれわれ自身の伝統文化に対する認識を深め、新しい社会の人間関係や個人生活などの原理について、個々の良識を豊かにするための思考資料を得ることなのである。
読書や聴講によって他から知識を受けるばかりで、自己の思考を労することがなければ、知識は自己の目的によって統一されず、志向する所を持たない。要するに博識というに過ぎない。ーただし、自己の思考に頼り過ぎて他から知識を受け入れることを怠れば、偏見となり危険に陥る