『インスタグラム:野望の果ての真実』を読んで、わからないからこそ理解する努力をする、そして最終責任をとることの重要性を感じる

『インスタグラム:野望の果ての真実』を読みました!

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インスタグラムの本なのでややインスタグラムに寄った話ですが、
これだけ価値観が違う(むしろ真逆)チームが同じ企業体としてやれてきたのは、
インスタグラムがこだわりを主張し、それをフェイスブックが許容してきたからだと思います。
正直フェイスブックとインスタグラムは用途が全然違うので無理やりつなげる必要性ってないんじゃないかと素人目に見ても思いますが、
マーク・ザッカーバーグだったらインスタグラムとフェイスブックを同列に考えることより、
フェイスブックを軸にしてそのシナジーをグループ各社がどう生み出していくかを考えるかもしれないなと思いました。
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●創業時のサービス
今いる場所やこれから行こうとする場所を書けば友だちが合流でき、出かける回数が多いほどご褒美がもらえる「バーブン」
このバーブンの人気の側面プランズ、写真、バーチャルご褒美の中でだれにとっても便利な機能として写真に絞ってリリースされたのが「インスタグラム」
●インスタグラムの変遷
2010年10月:インスタグラムはリリース
2012年:Facebookに10億ドルで買収(Facebookはその年に評価額1000億ドルで上場)(当時インスタグラムは社員13人、創業者2人とメンバー3名のみしかキャピタルゲインを得られなかった)
2018年:ユーザー10億突破
2018年9月:創業者シストラムとクーリガー退任
フェイスブックとインスタグラムの違い
・新たなことに興味を持ってもらおうとするのがインスタグラムで、人々が欲しいと思っているものをデータで解き明かし、それをどんどん提供するのがフェイスブック
フェイスブックはあらゆることをデータから導くが、インスタグラムは、社員の個人的な好みでキュレーションしている
フェイスブックは、なるべく多くのユーザーにとって問題が解決される技術的な仕組みを作ろうとするが、インスタグラムは、もっと創造的で、人間関係のなかで問題を解決しようとする
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これらを踏まえて、
起業したことない人に起業家の気持ちはどこまでいってもわからないですし、
起業したことないくせにって思われるし、自分で思うこともあります。
でも、
わからないから仕方ないと思考を止めるのではなく、
わからないからこそ理解する努力をする。
さらに、
理解する努力をすることは大事だけど相手からすると努力しようがしまいが知らんって感じなので、
すべてひっくるめて自分がみる、と言えるかどうかが実は大事なのかもしれないと思います。

『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』を読んで、ビジョンを本当に実現したいなら「こうなりたい」ではなく「こうならざるを得ない」ということ

『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』を読みました!
ビジョナリーカンパニー1では後世に残る会社(ビジョナリー・カンパニー)の特徴が記されているのに対し、
ビジョナリーカンパニー2ではビジョナリーカンパニーになる前の、グッドからグレイトな会社になるための特徴が記されていました。
 
ビジョナリーカンパニーは金言が多く、『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』も例に漏れず、なるほど!、と思うことがたくさん記されているのですが、
・第五水準の指導者がいて、
・適切な人をバスに乗せ、
・厳しい現実を直視する規律をもち、
・真実に耳を傾ける社風を作りだし、
・評議会を作って針鼠の法則の三つの円が重なる部分で活動し、
・すべての決定を単純明快な針鼠の概念に従って下し、
・虚勢ではなく現実の理解に基づいて行動すればいい
という一連の流れを感じました。
 
その中でも、
ほんとうに問題なのは、「なぜ偉大さを追及するのか」ではない。「どの仕事なら、偉大さを追求せずにはいられなくなるのか」だ。
という箇所がポイントだと思いました。
自分たち自身も成し遂げたいことの大きさから、偉大な企業に”なりたい”ではなく、偉大な企業に”ならなければいけない”し、
ミッションを実現させるために偉大な企業に”ならざるを得ない”と思いました。
そして、飛躍への第一歩である「第五水準のリーダーシップ」も”持ちたい/持とう”というよりは、
偉大な企業を作るためには”持たざるを得ない”んだと思います。
大事なことは偉大なことをせざるを得ないって思えるくらい「自分がやりたいことなのかどうか」だと思います。
そして、全然できてなくても、根拠はなくても、「覚悟を持ってそれを続けられるか」が重要なんだと思います。
今私が働く会社においては、自分が信じた起業家を信じられるか、ここに尽きると思います。

『NEXTOKYO 「ポスト2020」の東京が世界で最も輝く都市に変わるために』を読んで、改めてポスト2020の世界について考えた

『NEXTOKYO 「ポスト2020」の東京が世界で最も輝く都市に変わるために』を読みました!
 
2017年に東京の街を今後どのようにデザインするのが良いかを記されている本で、
想像力を掻き立てられた一方で、
なかなか思うようにはいかないもどかしさを感じました。
そんな中、文中のニューヨーク在住のジャーナリスト佐久間裕美子さんの言葉は印象的でした。

本物の魅力は本物にしか宿らない。自分の持ち場で何ができるかを考えることが大事です。

東京オリンピックは批判というよりはなんでこうなったんだろうという疑問しかなくて、
“ただ、昭和生まれのオジサンが牛耳っていた”というデモグラ的な話ではなくて
ネガティブな空気の連鎖によって止められなかったように感じました。
ちょうど、今年の長崎原発に合わせて日本は核兵器禁止条約への署名見送り&オブザーバーとしての参加も回答していないニュースを見て、
政権としては被爆国だからといって核兵器禁止条約への署名をしてスタンスを切ることは後ろ盾をなくすことにもつながるし、
その政権を選んだのは私たち一人一人なんだなあと身に染みました。
一人一人のレベルだとどっちでもいい大したことないことでも、その大したことないことが集まると真意とは反対のことが生じるからこそ、
「どうせ私一人が、、、」
ではなく
「自分の持ち場で私一人でも一生懸命考える」
ということをしたいと思います。

今の日本のBSを改めて調べた

●令和3年国家予算

・2021年度予算案の国の一般会計歳出歳入は106.6兆円

┗歳出は社会保障35.8兆円(33.6%)、国債費23.8兆円(22.3%)、地方交付税交付金等15.9兆円(15%)

┗歳入は所得税18.7兆円(17.5%)、法人税9兆円(8.4%)、消費税20.3兆円(19%)、公債金(借金)43.6兆円(40.9%)

 ┗ちなみに、東京都の予算は歳出5.6兆

・名目GDP成長率:令和3年見通し4.4%(令和2年が-4.2%、令和1年が0.5%)

https://www.mof.go.jp/policy/budget/budger_workflow/budget/fy2021/seifuan2021/01.pdf

 

2020年度名目GDP536.8兆円

・2019年558.3兆円、2010年504.8兆円

・名目GDPとは、GDPをその時の市場価格で評価したもの、実質GDPとは名目GDPから物価の変動による影響を差し引いたもの

 

●2021年社会保障給付額(予測)

・129.6兆円

┗うち年金58.5兆円(45.1%)、医療40.7兆円(31.4%)、福祉その他30.5兆円(23.5%)にあてられる

┗2010年105.4兆円なので10年で1.22倍に増えている

┗財源は2020年度保険料73.6兆円、税金と借金で50.4兆円、あとその他でいくらか

 

・2021年国民所得額(予測)393.6兆円

国民所得額とはある国の労働者と企業が生産活動に参加したことによって一定期間(四半期、1年など)に受け取った所得の総額を示すもの。 賃金総額(雇用者報酬)、企業の利益(営業余剰・混合所得)の合計として定義される

┗2010年361.9兆円なので10年で1.08倍しか増えていない

 

これみると、高齢化によって年金と医療費は増えることはみえていて社会保障給付額は増えるめ、

それを賄うために私たちの保険料や税金はあがっていくことは容易に想像できるからこそ、

そこに対するアプローチは急務だということがわかりました。

『世界史を創ったビジネスモデル』と『孫正義 300年王国への野望』から長く続く組織のキーワードは多様性であり、予測を当てるのではなく対応することに意味がある

『世界史を創ったビジネスモデル』を読みました!

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ビジネスモデルといっても、お金の流れやステイクホルダーとの関係そのものというよりは、その根本にある共通点を導き出すことの重要性から、
・500年続いたローマ帝国から「多様性の確保」と
大航海時代のイギリスから「フロンティアの拡大」
について多く記されていました。
 
まず、ローマー帝国の「多様性の確保」におけるキーワードは「寛容」であることがわかりました。
ただし、以下のように示されているようにここで言う寛容は優しさとかそんなものというよりは、自分たちの領土拡大のための戦略の一つだったのだと思います。
寛容主義とは、普遍的原理に基づく絶対的政策というよりは、さまざまな条件を考慮した上での判断なのである。
寛容とは、相手に対する自信の表れに他ならない。
寛容政策は、受け入れる側にとっても一定の資質を必要とする。
寛容政策に対する最大の敵は、国内における反対勢力である。
そして、大航海時代の「フロンティアの拡大」におけるキーワードは「海洋国家」だということがわかりました。

広い領土は持たず、国を全世界に向かって開放する。そして、貿易を中心的な産業とし、少数精鋭で大きな収益を実現する。

そのためには一見すると自給自足で自分でやったほうが早いかもしれないことも、「比較生産費」の観点から分業し、交換することでその効果を最大化できるようになる。
 
100年続いたローマの内乱に終止符を打ち、その後数百年続くローマ帝国の制度的な基礎を築いたアウグストゥスオクタビアヌス)は平時の政策として軍の縮小、通商の拡大、通貨制度の整備、経済活動に対して国家が干渉しない、文化の推奨、上下水道など公共施設の整備などを実施。
戦時と異なり安定の時代は敵が目に見えず、もはや戦う必要性はないからこそ、
人々の生きる意味を作るということは重要だったと思いますし、
まさに、今も重要なんだと思います。
 
そして、図らずしもその後読んだ『孫正義 300年王国への野望』にも300年続く会社の特徴として「多様性」が挙げられており、
ローマ帝国から学ぶことはまだまだありそうだと感じます。

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本の中身と孫さんのプレゼンから、30年で生き残る会社は0.02%しかないことから、如何に生き残るのが難しいのか、さらに生き残ろうだけではなく世の中にインパクトをもたらすまで成長させるのが難しいのかがわかりました。

また、2010年の段階で孫さんは

「2018年に1チップの中のトランジスタの数が300億個を超え、チップが人間の脳を超える」

という話をしていましたが、

2017年にAlphaGoが世界王者の棋士を破ったタイミングからも

おおよそ2010年に出された30年ビジョンの予想は当たっていると言えます。

ただ、重要なのは予想を当てることではなく、予想を元に対応するところにあります。

予測の精度を高めることで対応の速度を高められることに意味があるのであって、

対応なき予測には意味がないと思います。

 

私は孫さんや安宅さんやその他研究者が描くテクノロジーでできることをもとに、人間は何ができるのか、人間しかできないことは何か考えたところ、「どんな未来を創るのか決めて動く」という結論が出ました。

もう少しブラッシュアップしますが、少し見えた気がします。

 

①理念:「情報革命で人々を幸せに」

②ビジョン:300年成長のDNAをつくる、「300年成長し続ける企業のDNA設計」を発明、

③戦略:300年成長し続けるために必要なのが「同志的結合」と「アカデミア」

ソフトバンクは1981年に創業し、2009年に営業利益4658億円で日本3位の会社になりました。

 
 
 

『美学への招待』を読んで、美とは作り出すものではなく結果論であるということがわかった

同僚のデザイナーに紹介してもらった『美学への招待』を読みました!

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藝術の本領が美にあり、その美は感性的に認識される
この一文に全てが集約されていると思います。
 
美は作り出されるものというよりは、恵として与えられる」
と文中にもあるように、作者の精神的意味を込めて作られた主観的な作品が、体験を通して第三者に伝わったときに初めて美は認識されるものなんだと思います。
そして、作品とは人為的なもののみならず、一番の作品は自然であり、私たちはその一部であることを忘れてはならないと感じました。
 
さらに、私たち自身が壮大な自然という作品の一部であり、結果論としての美の創造者であり、享受者でもあるというところに「人間を超える美学」というものが存在するのではないか、と思います。
 
<MEMO>
●美とは
・美学における最先端の主題は美である
・美は体験の中でしか存在しない
・十九世紀のドイツの美学者たちは、藝術作品を体験しているとき、意識のなかで起こっていることを指して、美的な意識と呼んでいました。つまり、藝術体験の実質そのものが美的意識です。
・美の語源:「うつくしい」は「いつくしむ」から派生した語で、もともと可愛らしいものについて用いられた形容
漢字の「美」は(生贄の)羊が大きい、という字の構成になっているところから、立派であること、見事なことを指していると言われます。
・美の重要な特徴:最も原理的なもののよしあしは、感ずるより仕方がない、ということです。この場合の「感ずる」は第一章で説明したような広い意味で、知性による直観をふくむでしょう
・美は設計図の外にあるものです。設計図に書くことができないということは、美が作り出されるというよりは、恵みとして与えられる、ということを意味しています。
 
●感性とは
・美学では、メタファーとしての感覚、すなわち《決して感覚ではなく精神の働きなのだが、感覚的な働き方をする精神》を好んで感性と呼びます。
・藝術の近代的イデオロギーとしてわたくしが考えているのは、その本質が精神の創造性にある、という考え方
油絵は藝術ですが、銭湯にある富士山のタイル画は職人仕事、という具合に区別されます。その区別の標とされてきたのは、作品に込められた精神的意味の深みです。

『四書五経入門』を読んで、人の使命はそのままの自分自身を捉え、全うすることだと思った話

スタートアップの経営陣が『大学』を読んでいるということを伺い、まずは『四書五経入門』を読みました!

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四書:論語孟子、大学、中庸
五経書経易経礼記詩経、春秋
それぞれどんな内容なのかを著者竹内照夫さんの目線で記されているのがこの『四書五経入門』だったので、やや主観要素が強いものの、
竹内さんが思う四書五経を読む目的が自身の目的と合致していることを最後の結びでわかりました。

われわれが四書五経を読み、またはその来歴や内容についての著述を読むその目的は、中国思想の理想を深めるためというよりは、むしろわれわれ自身の伝統文化に対する認識を深め、新しい社会の人間関係や個人生活などの原理について、個々の良識を豊かにするための思考資料を得ることなのである。

また、文中『論語』からの引用で
読書や聴講によって他から知識を受けるばかりで、自己の思考を労することがなければ、知識は自己の目的によって統一されず、志向する所を持たない。要するに博識というに過ぎない。ーただし、自己の思考に頼り過ぎて他から知識を受け入れることを怠れば、偏見となり危険に陥る
とあることからも、
思考を助けるものとして知識があることがわかり、その主従関係は崩れないことは禅にも通じるところがあります。
また、全体を読んでみて、
昔の中国は身分制度がはっきりしていて、君子として人の上に立つ人はそれに相応しい必要な学問を学び、人の上に立つに値する心構えをしておく必要があるということを各所で記されており、
自分の立場と物事に向かう姿勢である”スタンス”のことを記されていると思いました。
特に心惹かれたのは以下です。
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論語
・『論語』の最後の章に、「輝かしい地位に立って大いに働くにせよ、目だたない職務を忠実に果たしているにせよ、わがなすべきことは等しく天の使命であり、人から強制され、もしくは人の称賛を博せんがためになすのではなく、使命たることを自覚し、みずから喜んで実践するのである。」と記されている。
・われ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして、心の欲する所に従って矩を踰えず。
五十にして命を知るとは、五十になってある時ににわかに命を知った、というのではなく、若い時から自分の才能、自分の志望、自分の進路などと、他人の自分に対する理解や認識、社会の自分に対する反応や評価などとの関係について種々の思索をめぐらし、考えては崩し、崩しては考え、そうした末に、思索と体験とが固く結びつき、知命という境地が築き上げられたのである。
・君子たるものは常に現在の境遇をわきまえると同時に、未来の夢を抱き、それを暖めるべきであって、没理想の世俗主義者に堕落することを戒めている。
 
 
孟子
・「位卑くして言高きは罪なり。人の本朝に立って道行わなれざるは恥なり」とある。その地位にいなければ大言はしないが、しかしその地位に立たされて何の行うべき抱負もないのは、士たる者の恥だ、というのである。
 
 
『大学』
・君子の最高教育たる大学の目的は以下三項
┗明徳を明らかにす:為政者は万民の生活条件を良好ならしめることに努め、人々がその天与の明徳を没却することなく、ますます研磨して良知良能を発揮し、善意善行の男女たるを得るように補導すること。
┗民を新たにす:為政者は常に理想を追って、社会の文化程度の向上、人民の生活程度の向上を指示し、人々が旧慣にとらわれず日々清新な気分で生産に努め、業務にいそしむように教導すること。
┗至善に止まる:向上し、さらに向上して、至極の善に到達してそこに安住すること、すなわち理想国家・理想社会への到達
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謙遜するわけでもなく、大きく見せるわけでもなく、
そのままの自分自身を捉え、全うするということが人の使命
なんだと思います。
論語と算盤』と近いこと書いてるやんと、思いましたが、その渋沢栄一孔子やその弟子の考えが記された『論語』の影響を受け、さらにそれに私が影響を受ける、、、
又聞きではなく、一次情報に触れよう。