『四書五経入門』を読んで、人の使命はそのままの自分自身を捉え、全うすることだと思った話

スタートアップの経営陣が『大学』を読んでいるということを伺い、まずは『四書五経入門』を読みました!

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四書:論語孟子、大学、中庸
五経書経易経礼記詩経、春秋
それぞれどんな内容なのかを著者竹内照夫さんの目線で記されているのがこの『四書五経入門』だったので、やや主観要素が強いものの、
竹内さんが思う四書五経を読む目的が自身の目的と合致していることを最後の結びでわかりました。

われわれが四書五経を読み、またはその来歴や内容についての著述を読むその目的は、中国思想の理想を深めるためというよりは、むしろわれわれ自身の伝統文化に対する認識を深め、新しい社会の人間関係や個人生活などの原理について、個々の良識を豊かにするための思考資料を得ることなのである。

また、文中『論語』からの引用で
読書や聴講によって他から知識を受けるばかりで、自己の思考を労することがなければ、知識は自己の目的によって統一されず、志向する所を持たない。要するに博識というに過ぎない。ーただし、自己の思考に頼り過ぎて他から知識を受け入れることを怠れば、偏見となり危険に陥る
とあることからも、
思考を助けるものとして知識があることがわかり、その主従関係は崩れないことは禅にも通じるところがあります。
また、全体を読んでみて、
昔の中国は身分制度がはっきりしていて、君子として人の上に立つ人はそれに相応しい必要な学問を学び、人の上に立つに値する心構えをしておく必要があるということを各所で記されており、
自分の立場と物事に向かう姿勢である”スタンス”のことを記されていると思いました。
特に心惹かれたのは以下です。
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論語
・『論語』の最後の章に、「輝かしい地位に立って大いに働くにせよ、目だたない職務を忠実に果たしているにせよ、わがなすべきことは等しく天の使命であり、人から強制され、もしくは人の称賛を博せんがためになすのではなく、使命たることを自覚し、みずから喜んで実践するのである。」と記されている。
・われ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして、心の欲する所に従って矩を踰えず。
五十にして命を知るとは、五十になってある時ににわかに命を知った、というのではなく、若い時から自分の才能、自分の志望、自分の進路などと、他人の自分に対する理解や認識、社会の自分に対する反応や評価などとの関係について種々の思索をめぐらし、考えては崩し、崩しては考え、そうした末に、思索と体験とが固く結びつき、知命という境地が築き上げられたのである。
・君子たるものは常に現在の境遇をわきまえると同時に、未来の夢を抱き、それを暖めるべきであって、没理想の世俗主義者に堕落することを戒めている。
 
 
孟子
・「位卑くして言高きは罪なり。人の本朝に立って道行わなれざるは恥なり」とある。その地位にいなければ大言はしないが、しかしその地位に立たされて何の行うべき抱負もないのは、士たる者の恥だ、というのである。
 
 
『大学』
・君子の最高教育たる大学の目的は以下三項
┗明徳を明らかにす:為政者は万民の生活条件を良好ならしめることに努め、人々がその天与の明徳を没却することなく、ますます研磨して良知良能を発揮し、善意善行の男女たるを得るように補導すること。
┗民を新たにす:為政者は常に理想を追って、社会の文化程度の向上、人民の生活程度の向上を指示し、人々が旧慣にとらわれず日々清新な気分で生産に努め、業務にいそしむように教導すること。
┗至善に止まる:向上し、さらに向上して、至極の善に到達してそこに安住すること、すなわち理想国家・理想社会への到達
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謙遜するわけでもなく、大きく見せるわけでもなく、
そのままの自分自身を捉え、全うするということが人の使命
なんだと思います。
論語と算盤』と近いこと書いてるやんと、思いましたが、その渋沢栄一孔子やその弟子の考えが記された『論語』の影響を受け、さらにそれに私が影響を受ける、、、
又聞きではなく、一次情報に触れよう。