『論語と算段』を読んで、身の丈にあった人生、について考える

論語と算段』を読みました。

論語と算盤 | 澁沢 栄一 |本 | 通販 | Amazon

第一国立銀行の頭取、王子製紙東京海上火災東京電力東京ガス、帝国ホテル、サッポロビール、JR、一橋大学早稲田大学などなどここには書ききれないほどんの設立に携わった渋沢さんが、
明治維新後、日本という国が欧米の物真似で個人の信用がなかった時代でもあった時に、
論語を中心とした道徳の重要性を説かれていました。

 

「個人の豊かさとは、すなわち国の豊かさだ。個人が豊かになりたいと思わないで、どうして国が豊かになっていくだろうか。
国家を豊かにし、自分も地位や名誉を手に入れたいと思うから、人々は日夜努力するのだ。」

 

論語ができた時代背景から、「〇〇してはならない」という教えになりがちであることを認めながらも、
渋沢さんは個人と国という視点を強く持たれていて、どんなに個人が栄えてもそれが国の繁栄の関わらないものであったら意味ないんだと思いました。

 

「「修身」自分を磨く」
「自分を磨くというのは、自分の心を耕し、成長させることだ。」
「素晴らしい人格をもとに正義を行い、正しい人生の道を歩み、その結果手にした豊かさや地位でなければ、完全な成功とはいえないのだ。」

 

道徳とは、「よし、道徳を勉強しよう」といったように学ぶものではなく、誰かと比べるものではなく、
生涯を通して日々の生活から人は自身の心を磨いていくものであり、磨かれていくものであるんだと思います。

 

「志を立てる要は、よくおのれを知り、身のほどを考え、それに応じてふさわしい方針を決定する」
「学生は自分の才能の有無や、適不適もわきまえずに、「あいつも俺も、同じ人間じゃないか。あいつと同じ教育を受けた以上、あいつがやれることくらい俺にもできるさ」という自負心を持って、下積みのような仕事をあえてしようと考える者が少なくなってしまった。」

 

教育が皆平等に行われることでによって、世の中の仕事の役割の意味を理解せず、少数派である“人を使う側”になりたいという思いを持ち、人余りが生じていることが記されており、ハッとしました。


だからと言って受け身になれとか、あなたの人生に可能性はないと言われているわけではなく、
自分の身の丈を知り、自分の人生の役割を全うすることの素晴らしさについて記されているように思いました。